峭峻記
朱雅は、一人最上階の自分の執務室に向かう。
朱雅の自室は家具や敷物、照明など、置いているものはすべて上質な素材で作られた一級品。派手さはないが決して地味でもなく上品かつ粋な趣向を凝らした、趣味のよいものが揃う。
無駄なものは一切置かず、すっきりしていて、黒と緑を基調とした、静かで落ち着きのある部屋である。
朱雅は、執務室に入るとそこには先客がいた。
その男は長椅子に横になり、頭の後ろで腕を組み枕にしている。
40代半ば程のその男は、赤毛の短髪に茶色の瞳、片眼には大きな刃傷があり眼帯をしている。褐色の肌をしてガッチリした筋肉質の大柄な体格で男というより漢(おとこ)と言った方がしっくりくる。黒に近い濃緑の内衣に深い木賊(とくさ)色の半臂を着たこの漢は、琥蓮の筆頭碧士・蛛猛(ちゅもう)。
「お帰りなさいませ。朱雅さん。」
と言うと、蛛猛は起き上がり、椅子に座り直す。
片腕は椅子の背にかけ、片足は一方の膝に乗せ、だらしなく無作法な振る舞いを見せるのだが、その仕草は何故か妙な艷さと男らしさがあり、脂の乗ったちょい悪オヤジ感が滲みでる。不良上がりな態度の悪さが嫌味なく魅力になっている。
礼儀作法に厳しい朱雅でさえ何故か不思議と許せてしまう。
ちょい悪オヤジは凄まじき才能だ。
「待たせてすまない、蛛猛。」
そう言うと、朱雅は自分の執務席に腰を降ろす。
「いえいえ、いいんですよ。俺は別段忙しくするほどの用は無いんでね。頼まれてた調査案件の報告書とあの方からの書簡預かってきましたよ。」
そう言って、蛛猛は分厚い報告書と書簡を朱雅に手渡す。
「あぁ、悪いな。蛛猛、すまないがもう少し待っていて欲しい。怜熙(れいき)に、茶でも用意させよう。」
朱雅がそう言い終わる前に、どこからともなく青い団服を着た10歳ほどの少年が表れ、蛛猛と朱雅に茶を出した。茶請けに綺麗な細工の生菓子までついてくる。しかも、その菓子は蛛猛が好きな枝豆餡を使ったもの。
「ははは、流石だな。あれが、気が利きすぎて怖いって噂の怜熙か。良く出来た側付きをお持ちで。」
そういうと、蛛猛は出された菓子を食べ茶を飲む。
ほどよく絶妙な甘さの生菓子に、
味も香りもよい高級茶葉で煎れた茶だ。
(口にするものまで一級品か、畏れ入るぜ)
貴族か高官、大店構える大商人ぐらいの人間でなきゃ、なかなか飲めない代物を朱雅は当たり前のように口にする。
「いやー、美味いねぇ。やっぱり茶はこうでなきゃな。妙に黒い色した茶らしき液体が入った湯飲みと不気味な形の物体が乗った皿が用意されてきた時には、俺いつ朱雅さんに嫌われることしたかって悩んじまったよ。(笑)想像絶する地獄を見たよ。」
と言って蛛猛は、机に乗った不気味な造形物を指差した。
どうやら得体の知れないそれに口を付けたらしい。
「それは凄い、私には真似できない。そんなゴミを食おうという勇気があるとは、蛛猛のその勇気は称賛に価する。まったく気が知れん。」
と言って、朱雅は怜熙が持ってきた茶を飲んだ。
「それ、褒めてんの?貶してんの?皮肉かい?蘇芳の性格が移ったのですかねぇ?あんまりだよ、朱雅さん。」
蛛猛は、笑い混じりに言った。
「······」
朱雅は、特に言葉を返すことなく、書面を眺めた。
(あらあら、無視ですかい。)
蛛猛は、琥蓮組織のなかで三番目の位にいる筆頭碧士。だか朱雅より20歳以上歳上であり、親子ほどの年の差がある。
琥蓮ではかなりの重鎮なのだが、今や若手の朱雅や蘇芳の下で、使われる身だ。
「そうやって、毒ばっか吐いて、冷たいことばっか言っていると、人に嫌われますよ?そんなんだから蘇芳嬢に鬼悪党呼ばわりされるんですよ?まぁ、蘇芳も毒気強いし似たようなもん···」
「蛛猛?朱雅と私を一緒にしないでくれる?こんな毒舌陰険鬼悪党と一緒にされさら、末代までの恥よ。私、立ち直れないわ」
そう言いながら、蘇芳が部屋に入ってきた。ゆるめにまとめた髪に一本挿しの簪を挿し、黒地の内衣の上に金羽蝶の派手な柄が入った赤紫の交領袍を着ている。
「相変わらずの高飛車キャラが炸裂してるね。痺れるよ蘇芳嬢」
「遅かったじゃないか?亀にでもなったかと心配していた。」
「いつも一声、余分なのよ。お待たせしました。」
そう言うと、蘇芳は小包を朱雅に投げ渡す。
「····報告書は、後で書くわ。取りあえず獲物だけ渡しときます。」
「ふっ、ちゃんと持ち帰ったか。まぁ及第点は付けてやる。···蛛猛、この中の物についてわかる限り調べて欲しい。その物の正体。成分、原材料、製造法、流通経路、これに関わりがあると疑われる人間、組織、それらの売買事情すべてだ。なるべく急げ。半月後には、ホシが突き止められるように。」
朱雅は、小包を蛛猛に差し出す。
蛛猛は受け取った小包の中身を見る。白い、何かの残骸だが、金属か鉱物だろうか。調べろと簡単に言うが、ほとんど原型を留めていない物の正体すら突き止められるかどうか知れたものじゃない。
「こりゃ何だい?毒弾の破片か?」
蛛猛が、聞いた。
「いい線突いてるわ。毒なのは確かよ。ただそれは爆弾の破片じゃなくて、その···毒そのものの残骸よ」
蘇芳が、答えた。
「つまりもとは毒塊で、その残骸なんだな。燃やすと毒煙でも出るとかか、飲ませる感じじゃないしな。妙な砕け方してるが、もとはどんな形してたんだ?」
「人だった。」
「は?」
と、蛛猛は首をかしげる。
「人?人って、つまり人?人···馬鹿にしてる?もっかい聞くよ。これの原型は···」
「だから、人よ。生きていた人間が毒されて出来た白い毒の肉塊。その残骸かき集めてきたの。人の一部よ」
と、蘇芳は真面目な顔してとんでもなくブッ飛んだ事を言う。
(これ、人の破片なの?····待ってよ。それ怖くない?)
蛛猛は、冷や汗がでる。持っている包みが、妙に重たく感じた。
「ということだ。それが毒なのか、はたまた単なる奇病か。それはわからないが人為的に作り出されたものの可能性は大にある。調べてくれ。半月だ。頼んだ。」
朱雅は、報告書を見ながらそう言う。
「んなったって、たったこれだけの手がかりでか?冗談キツいし、人使い荒いぜ?···骨が折れるよぉオジサン。····まぁやるだけ調べてみるけどさ。半月と言わず、気長に待っててくれや」
(つか半月って、短すぎるから。最低三月くれよ!なるべく急げとか····滅茶苦茶急がしてるからさ。真面目に人使い荒いよ。嫌われるよ?)
蛛猛は、そんな胸の内を押し殺し、部屋を出ていこうとする。
それを、蘇芳が呼び止める。
「蛛猛、私からも頼まれてくれる?花街の自警団に、桜花(おうか)衆か流伊比(るいび)衆の人間として誰か送り込んで、監視して欲しいのよ、いろいろ教育してやるといいわ。警護を恐喝と勘違いして理解できてない連中が多いみたいだから。」
蘇芳の言葉に、蛛猛が立ち止まり視線だけ寄越す。
ここへ来る少し前に、自警団の連中が何者かに襲われたという報告を受けてはいた。
正直な話、自警団と争ったのが蘇芳だということは、何となくわかってはいたが。
「何だ。蘇芳嬢だったのかい。自警団の見張り番に針棒ぶちかましたってのは?····やれって言うなら構わないけど、必要あんの?自警団の事にまで目をかけることなくね?」
蛛猛は言いながら、遠回しに拒否を示していた。
正直、人手不足だし。
桜花衆とか流伊比衆に人送るって、そこに入れる人間となると、もう俺とか、俺とか俺とかしかいないし···つまり俺じゃん。もう限られてんし、遠回しに俺に動けと言ってんでないの、それ。
そもそも、自警団の教育って何だよ。
知るか、そんなもん。
「いや目をかけるというか、教育に関してはついでよ。入るには理由がいるでしょ?私は単に禁紫香(きんしこう)を使ったから、効果が知りたいだけよ。開発部によれば、薬効の自制期間はよくて半月くらいって話だから、そのギリギリまで観察して欲しいの。症状を事細かく記録して報告書挙げるから。紫斑が見えるようになったら離香させないと廃人になるから、なるべく見落とさないでね。破落戸上がりが廃人になったら、笑えない冗談だもの。」
蛛猛は、蘇芳の言葉に顔をひきつらせながら静かに振り返り、蘇芳を見た。
満面の美しい笑みを浮かべている蘇芳に、自分も笑いを返そうとしたが、引き笑いになってしまう。
「は···ハハハ。いろいろ無理難題をさらりと要求するね。····つまり半月、そいつら見張って毒香の効果を調査して逐一報告しろってことかい?」
「そう、お願いね。蛛猛、あなただけが頼りよ。薬効の自制ができるのは、半月ってことだから期限は半月よ。よろしく」
と言って、蘇芳はうっとりするような笑みをくれた。
しかし、蛛猛の心中は穏やかじゃない。
惚れ惚れしそうな笑顔をして、蘇芳は人を地獄に落とすところがある。
いろいろな意味で、怖い。
「ったく。鬼だね、あんたら。まぁやるだけやるよ。じゃーな」
そう言うと、蛛猛は部屋を後にした。