峭峻記
その風は明媚に葉を散らす
蘇芳は、外が薄明かるくなる夜明け近くに目を覚ました。
酷い頭痛がする。
えげつない悪夢を味合わせられた。
ふと、辺りを見渡す、薄暗いがどうやら自分が朱雅の執務室にいるとわかる。
そして、長机を挟んで向かい合い座る朱雅がいる。
「起きたか。よく寝ていた。」
「酷いものを食べさせてくれたわね。」
「まさか気絶するとは、思わなかったが。食べなくて本当に良かった。」
朱雅は、冷たい微笑をしながらそう言う。
どうやら、あの時は食べたように見せかけただけだったようだ。まんまと騙された自分が悔しい。
すると、朱雅が書物を蘇芳に手渡す。
そして朱雅が燭台に火が灯すと蘇芳は書物を確認した。
「任務に関する調書だ。目を通せ。」
そういうと、朱雅は急須から茶を入れる。
仄かに優しい葉の香りが立ち上る。
「口直しに、飲むがいい。」
そうして出された茶を蘇芳は訝しげに見て、朱雅を睨む。
「案ずるな。ただの黄茶だ。頭痛が治る。今さらお前を気絶させても得にならん。飲みながらついでに話を聞け。」
朱雅は、蘇芳が頭痛を起こしているとわかるらしい。ということは、朱雅もあの不味い菓子を食べたのか?
そんなことを思いつつ、朱雅の淹れた茶を飲んだ。清涼感のあるすっきりとした優しい味がした。
そして蘇芳は、渡された任務の事前調書を見る。
調書には、奏家の系譜が載っていた。
奏家の姻戚関係と子孫の概要が書かれている。
「これは王族の系譜?今回は、王族に関わる任務ですか。」
蘇芳が聞くと、朱雅は伏し目がちに視線を落とし、湯呑みを長卓に置く。湯呑みの縁をそっと撫でるように離すと一拍置いて話を切り出した。
「王位戦争がなぜ起きたか覚えているか?」
朱雅の唐突なその問いに、蘇芳は一瞬戸惑う。
「王位を巡って、皇子たちが後宮で権力争いを繰り広げていたのが、戦争に発展したんでしょ?それがどうかした。」
「王位戦争は醜い権力争いが招いた王族の負の歴史だ。」
朱雅は、静かに言った。
8年余り続いた王位戦争。それが終結して5年が過ぎようとしていた。
先王・奏烈王(そうれつおう)は、12人の妾妃をもち、12人の皇子と4人の皇女がいた。皇子たちは王位を巡って互いに牽制しあいながら権力争いを続けていた。水面下で繰り広げられていた争いが、奏烈王が病に臥せると同時に表面化し、それが戦争へと発展する。
そうして始まった王位戦争は8年続き、その戦火は奏国全土を埋め尽くしていった。
「王位戦争は、奏烈王の12人の皇子のうち、10人の皇子が玉座欲しさに起こした争い。とされているが、厳密には自身の意志で動いたのは、10人のうち3人。残りの7人は彼らの母親や外戚によって取り立てられた傀儡(かいらい)だ。」
「傀儡?本人たちは王位に興味は無かったと?」
蘇芳は、疑心を顕にして聞く。
「始めのうちは、そうだったろう。何せよくて10歳かそこらのほとんどが幼い子供だからな。王位戦争が始まった当初は、兄皇子3名を除き、そのほかはまともに戦に参加できる歳ではない上、外戚の他に味方をつける能力も器もない、それどころか彼らには王位に着く意志も戦気も芽生えてすらなかったはずだ。」
朱雅は、淡々と答えた。
推測で話しているにしては、断定的な口調だ。そして不思議と説得力がある。
「なるほど。そう言われれば納得がいくわ。始めこそは、それほど大きくはなかった戦火が、年を追う毎に激化していった理由としてもね。数年の間に力を蓄え成長した皇子たちが徐々に勢力を拡大して、ついには10人全員で死闘を繰り広げ、悲惨な結末を迎えていったわけね。」
そう言うと、蘇芳は視界を曇らせ目を伏せる。
戦争が勃発したのは、蘇芳が4つか5つで、
当時、蘇芳はまだ琥蓮ではなく、貴晏花街の菊花苑(きっかえん)という妓楼の見習い妓生だった。
王位戦争が始まった当初は、まだ王都貴晏は平和を保っていた。花街は来る人も住む人も華やかで、街が賑わい、当時は三夜続きで豪遊する人など珍しくなく、大勢の人で溢れていた。
けれど時が経つにつれ、そんな人で賑わう街が段々と陰り始めて、客層がみんな鎧や軍服姿の兵士に変わり、そうして人の入りも少しずつ無くなっていった。
「確か5年目くらいだったかしらね。戦争が激化して龍州にも損害が及び始めたのは。龍州の周辺がもうほとんど焼け野原になりつつあって···」
それは、ちょうど蘇芳が紅士に昇格した頃と重なる。蘇芳が最初に受けた任務は、米や穀物を買い占めている貴族や豪族への奇襲任務だった。
戦争に加担している貴族や豪族の勢力を削ぐと共に、彼らの倉を開き、飢えや飢饉で苦しむ人々に食べ物を供給するのが目的だった。
「人はみんな、虚ろな目をして、茫然と立ち尽くしていたわね。」
「若い男は、みんな兵士に駆り出され、戦争に託つけて、匪賊や盗賊が暴れだす始末。奴等は各地で暴動を起こし殺戮の限りを尽くした。もはや秩序なんてものは失われ、当たり前のように人が死んでいった。飢えや飢饉、疫病までもが蔓延してそこら中に死体が転がっていた。」
朱雅は、そう言うと古傷が痛むのか左胸を押さえるように着物を握る。
朱雅は、あの頃の奏国を思い返す。
壮絶な光景だった。
法に背こうがどうなろうが、生きるために民は暴徒と化して、略奪、暴行、殺人、放火、何でもやっていた。自分以外は皆、敵として無差別に人を襲いすべてを奪い破壊した。
奏(かなで)の国。四季があり、風光明媚な美しい山や川、畔、草原、自然に溢れた豊かな大地を有し、人は楽を奏でて歌い、舞い、そして笑う、明るく美しい大国。
それが、王位戦争という、下らない権力争いによって死の国と化していった。