峭峻記
蘇芳は、ケンケンを小馬鹿にしていじめるのが結構好きだ。彼は普段から上司の顔に泥をぬらぬよう、側付きとして恥ずかしくないよう品位を保ち節度ある紳士を演じている。しかし、その仮面は脆くつつけば毎度ムキになって怒りだす。昔から少しも成長しない辺りがいい。
この子どもがそのまま大きくなっただけの童顔のいつも涼しい顔をした青年は、琥蓮の黒士 櫂鉉(かいけん)という。
歳は19。扱う武器は、剛糸。
剣もそこそこ扱えるというが、蘇芳に言わせれば出来るうちに入らないポンコツ。
琥蓮の筆頭黒士の側付きをしている。
彼にとっては、この筆頭黒士の側付きである事が、何よりもの誇り。
「ケンケンは、青士の頃から朱雅に憧れ、朱雅の側付きになりたいと願い追っかけ続けて、幾度となく袖にされ、それでも執拗に追いかけ回すから挙げ句朱雅に殺されかけたりもして、どう考えても悪意があるとしか思えない無茶苦茶な仕事を与えられても(何故か嬉しそうに)、文句も言わず何だかんだやり遂げて、いそいそと働き続けて、念願叶って大好きな朱雅様の側付きになったのよね。良かったわねーほんと。」
朱雅に対するこの青年の異常な執着と忠誠心。常軌を逸した偏愛っぷりには正直引いてしまう。
何せ、朱雅に近付きたい一心で、無理難題を吹っ掛けられても何だかんだで何故かしっかり成し遂げてきたものだから、誰の側付きにもならずして黒士に取り立てられたのだ。黒士にまでなれば、普通は人の側付きにはならない。
逆に、側付きやら部下を従えることができる立場だ。
にもかかわらず、この青年は昇格した後でも、朱雅の側付きになりたいと言い続けて2年ほど前にようやく側付きになった。
「まったく、ケンケンのその執念には呆れるわ。下げないけど、頭が下がる思いよ。朱雅なんぞに惚れ込む貴方の気がしれないわ。気色悪い。酔狂な変わり者もここまでくると一種の病気ね。救う気もないけど、救いようがないわ。もう腐ってる。散々いびられて殺されかけてんのに心なしか喜んでるあたりが、マジ気色悪い。本当に見てて、吐き気がする。」
と、蘇芳は延々と毒を吐き散らす。
「貴女はいちいち人の神経逆撫でしなきゃ気が済まんのか?喧嘩売ってんですか?すんげー腹立つんですけど。その感じ!まぁでも?貴女にはわかりませんよね。眼節穴ですもんね!」
そう言うと、櫂鉉は朱雅の良さについて語り始める。
「そう、わかるはずがない。凡人の貴女には。あの朱雅様の崇高なる気高き精神と聳え立つ山のように険しく美しい眼光。端整なお顔に相応しく美しく高貴な佇まいで理性的で非の打ち所がない格好良さ。いつもは冷たい鬼のように辛辣なお言葉で罵り(それに私は快感を覚えます)、私に何かと厳しい地獄のような仕事を与えるのはいわゆる愛情の裏返し(いや、愛情表現なんです)と言えましょう。愛の鞭というやつです。(いっそ私は、朱雅様になら本当に鞭で叩かれたい‼)」
蘇芳には、変態的思考が暴走し始めた櫂鉉の心の声すら聞こえる気がした。というか聞こえる。駄々漏れだ。もう( )とかにしてるけど、意味ねーし。そうして見たくない櫂鉉の危ない世界が開かれていく。
「苛酷な任務を命じる際、朱雅様はいつも『死ぬ気で挑め。というか任務を果たしたらとりあえず死んでくれていい、帰ってくんな』とおっしゃる。その言葉の裏には、『この程度の任務もこなせないなら俺の側には置けない(愛してやらない)。側に居たければ(愛されたければ)任務をやり遂げ帰ってこい』という意味が込もっているんです。『馬に蹴られて死ね。』(=俺に斬られて死ね)というのと同じです。なんとお優しい方なのか。」
(いや、その例えよくわかんねーし。優しいとか、どのあたりが?どのみち死ねとしか言われてねーよ?)
「そのお声を聞く度、私は悶え死ぬかもしれないほど心が高揚し、朱雅様の強さにひれ伏し痺れるほど感服する(たまんねぇーっす。最低最悪に素敵すぎて快感すら覚えます)。もっと、もっとこの人に近付きたいと思う。けれどそんな朱雅様が時折見せる仏の如くお優しい表情もまた···美しくて後光がっ、後光が眩しすぎて‼ あの方を例えるなら修羅を司る地獄の王・獄天。はたまた天を操る雷神・飛天。そう神です!そんな完璧な朱雅様でもやはり、激務をこなし続けていればお疲れになる。そんな時に朱雅様は「櫂鉉、あとは頼んだ。」そう言って自室に行かれ一人酒を飲む。(私は、その酒になりたい❗)髪をほどかれて横になると普段は見せない少し気だるげな表情とか仕草とか見れたときはもう··もう(涎)‼―――はぁ··はぁ」
櫂鉉は、真実から眼をそらし、改ざんし美化(?)した世界を見ながら、果てしなく救いようがない変態嗜好と妄想癖を惜しげもなく披露する。
(コイツ、マジ気色悪い。)
それを蘇芳は冷ややかに見る。
そう、彼の語り口からも分かるように櫂鉉はドMな変態妄想馬鹿なのだ(対象は朱雅限定。)
当然ながら、彼が神と崇め敬愛する朱雅からは、煙たがられて完全に嫌われてる。
おかげで、付いたあだ名が朱雅の愛犬ならぬ『嫌犬(ケンケン)』
「愛も執念って言うけどあんたのその愛は色んな意味でしつこすぎるわ。というか気色悪い。朱雅の何が良いわけ?あんな冷徹冷悧で冷酷無慈悲な血も涙もない極悪非道な陰険毒舌鬼野郎の」
「あの人の良さは凡人の貴女にはわからないでしょうよ。あの氷のような冷徹さが、朱雅様の美しさを引き立てる。あの鋭利な刃の如く鋭い眼光が際立つんですよ!その眼光で私の心を捉えて離さず射殺す勢いの朱雅様。あぁ朱雅様、何でそんなに私を縛るの?もっと縛って。いっそこの糸で!!動くものはすべて駒にする人を人とも思わない最低の人でなし鬼雷神。冷徹冷悧で冷酷無慈悲で極悪非道な最低最悪最恐毒舌ドS貴(鬼)公子朱雅様、私は貴方に地獄の果てまで永遠に付いていきます。もういっそ貴方の一部に、一つになりたい·····」
もう駄目だ。完全に自分の世界に入ってしまった。こうなった櫂鉉はもう、何を言っても無理だ。
(つかコイツ最終的に自分の上司を最低とか人でなし呼ばわりしてるし、つか案外私よりも酷い評価をしているんじゃ?)
「朱雅の良さとかもうどうでもいいし、お前の趣味嗜好を含めてわかりたくねーよ。つかもう黙れや。私、おめぇみたいな変態馬鹿、頼まれても側に置きたくねぇ。気色悪い。変態すぎるもん。違う意味で怖いもん。いっぺん死んだほうがいいのかもしれないって本気で思うよ。」
「ほう? 奇遇だな。珍しく私と意見が合うじゃないか。」
ゲッ‼
背後から低い声がし、蘇芳は眉根を寄せて険しい顔になる。
次いで、嫌悪が沸々と体に湧いてくる。
振り返れば、件の鬼上司の姿があった。