峭峻記

「その重厚感溢れる美声は、どなたかと思えば朱雅様でございましたか。そちらからお出でくださるとは、ご足労痛み入ります。重ねて、お約束の刻限に多分に遅れてしまいました事深くお詫び申し上げます。こちらに戻る途中、問題が生じまして処理に手間取っておりました。とはいえどのような理由があるにせよ、すべては私の不徳の致すところでございます。お待たせしてしまい、何と謝罪すればよいのやら、お詫びの言葉もございません。」


そう言って蘇芳は、深々と礼を取る。
それまでの高圧的な物言いと高慢な態度を完全に消し去り、一変して理性的で落ち着きある態度をとり凛として礼儀正しい言葉使いをする姿はもはや別人のようである。まさに、女優だ。

「ふっ。心の内がどうであれ一応、目上の人間には礼を尽くすという処世ぐらいは学んでいるのか。感心だな、その姿勢があれば大抵の人間は理解を示すかもしれんが、残念だったな。―私はその大抵の内に入らない人間だ。」

朱雅は鼻で笑いながら、蔑むように冷たく言い放つ。

その男は、濡羽色の直据に紺鉄の長い背子を着ている。長く伸びた漆黒の髪を垂らし、真朱の赤く鋭い眼光と、キリっとした端整な顔立ちは、どこか高貴であり、硬質かつ質実剛健な印象を与える。歳は見た目30代前半くらい、長身で、細身ながら程よく引き締まった肉体美を持つ、見た目の風貌は完璧過ぎる美男。
しかし、この男は態度、言動、立ち振舞いの全てにおいて徹頭徹尾冷徹さを呈しており、全身から冷血さが滲み出ている。

基本的に無表情で、出来たとしても右上がりの冷笑しか浮かべない冷酷を絵に書いた氷のような男。

これが、琥蓮で鬼の化身と言われ、最恐と恐れられる陰険鬼上司。琥蓮の筆頭黒士・朱雅(しゅが)

「お許しを頂こうとは、最初から思っておりませんのでご安心下さい。どんな処罰も甘んじて受ける所存です。さて、今回はどんな罰が待っているのでしょうか?過酷な労務に飲まず食わず眠らずで勤しめとかですか?御安い御用ですよ。」
と言うと蘇芳は、鮮やかな微笑を返した。


「殊勝な心構えだな。どんな罰でも受けるか。それでは死も厭わんと言うのであろうから、横のアホと一緒に二人仲良く、飲まず食わずにして、肥溜めにでも突き落としてやる、ついでに毒バエ放ってやるから、集ったハエを食ってその毒にまみれて死ね。あぁだが、それでは天下の冷月の紅天女様も報われないだろうから、骸(むくろ)は飢餓で飢えた妖烏の餌にしてやろう。お前らの毒まみれの死肉を喰らって大量発生している烏どもの始末が出来るなら私も大助かりだ。死して尚も上司のために一役買うならお前も横のアホも本望だろう?アホと化け烏、悩みの種を同時に二つも消せて、私の負担も減るなら一石二鳥、万々歳だ。」

朱雅は、さらりと恐ろしい事を平然と言い捨てる。
人間を人間と思わず、道具として何処までもこき扱って利用する。
部下をいたぶり殺しても気が済まず死んでも利用するとか、何処まで悪党なんだコイツ。と蘇芳は思った。



「ははははぁ。さらりと面白いことおっしゃいますね。···良いのですか?そんな殺し方されたら今度は私が、化けて貴方を呪い、死んだほうがマシと思うような地獄のような苦痛を味わせて差し上げます。貴方は苦しくて堪らなくても死ぬに死にきれないその身で私を殺してしまった事を後悔するのです。そうしてのたうちまわりながら狂い死んだ暁には、私が貴方を地獄に突き落としてやります。貴方が成仏することなく永久に地獄でさ迷い続ける不様な姿を心の底から笑って差し上げます。そうすることで私の魂は本当に報われ、心置き無く天に昇れるというものです。」
蘇芳は笑顔でそんなことを言う。

「そうか、だが死んでからするという話は、現実味がない上に信憑性に欠けるがな。どうでもいいが、無駄話をしている暇はない。後ろで気色悪い変態妄想を膨らませているアホは放ってさっさと行くぞ。」
そう言うと、朱雅は踵を返した。

「つまり、お咎めは無しということで良いのでしょうか?」

「お望みとあれば、過酷な労務に飲まず食わず眠らずであたらせてやるぞ。御安い御用なんだろう?」
と朱雅は、そう言うと振り向き様に皮肉たっぷりの冷笑を浮かべる。

「あぁ、そうですか。」
蘇芳は深いため息を吐いた。
(というか、毎回来る仕事来る仕事全部過酷なんですけど、これ以上の過酷がまだあんのかい。ほんとヤダよ。こんな上司。)


―いっそ殺してくれたほうがいいのだけど


蘇芳は、そんなことを思いながら、朱雅の後をついていくのだった。









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