峭峻記
蘇芳は、朱雅と二人で妓楼の最奥を目指して歩いていた。
「ケンケンのこと置いてきて、本当に良かったの?側付きが醜態晒していたら、筆頭黒士たる貴方様の品位まで落ちかねない大問題じゃなくて?」
そう言うと、蘇芳は朱雅を横目に見る。
蘇芳は、素の高飛車で高圧的な女王様キャラに戻っていた。
「ほう?今日はえらく殊勝なことを言うじゃないか?側付きが醜態晒して、上司の品位まで落ちたら···などとそんな心配をしてくれるなら、奴の息の根を止めてこい。」
朱雅は、蘇芳に目もくれずに言った。
「申し訳ありません。私は私の···」
「美学に反する殺生はしないとほざくのだったら余計な口は開かず黙ってろ。奴のことを思い出させるな、虫酸が走る。」
朱雅の感情を押さえた重低音の声は、その重圧感で人ひとり殺せそうな鋭さがある。
「邪険にしてる割には側付きにして、本当は大事に思っているんでなくて?『嫌よ嫌よも好きのうち』ってやつじゃないの?朱雅は天の邪鬼さんなのね。」
「全く、大した部下だ。上司の言葉もまともに聞けないらしい。人には逆らい、その上素直じゃない。天の邪鬼はお前みたいな奴を言うんだ。現に、事あるごとにあの馬鹿を揶揄してやたらとちょっかいを出しているあたりもそれを物語っている。本当はあの馬鹿を心底求めているのだろ?遠慮は要らん、お前の側付きになるように命を出してやるから、持ってけ」
「···ふっふふ。要らないわ。身内の···特に朱雅の息がかかった奴なんて、危なすぎて扱い難いことこの上無し。それに筆頭紅士の側付きなんてケンケンには役不足ですもの。つまらない気遣いどうもありがと。さぁ時間が圧しているわ。先を急ぎましょう」
そう言って、蘇芳は足早にさっさかと歩いていった。
(ふっ、同感だ。)
朱雅は、心で笑う。
その通り、琥蓮の刺士にとって、最も恐ろしい脅威は身内。
琥蓮組織は、眉唾物の腕の立つ刺士がゴロゴロいる。 彼らが牙を剥けば、そこらの凶手なんかより質が悪い。
蘇芳は、人前では場をわきまえ目上に対して敬意を払い一応敬語を使うが、それ以外では(特に朱雅に対しては)徹底した敬語など使わず、当然人を様付けで呼ぶこともしない。別段朱雅は、それを気にはしない。
蘇芳に限っては、言ってもどうせ直さないから、言うだけ無駄と思っている。
というのもあるが、態度悪く悪態つく程度の人間は、本気で牙を剥いてこないだけ大した脅威ではない。
二人は、客で賑わう宴会場が広がる広間を尻目に階を更に上へと上がっていく。
この妓楼は、渡り廊下を通じて、本館と別館に大きく二分される。本館の一階の大広間から上は三階までが吹き抜けの構造になっている。一階大広間の大階段を二階に上がると一般客向けの大座敷があり、三階は上客向けの個室の座敷がある。四階五階はまたさらに中央に中庭が造られた吹き抜け構造となっており、妓女たちが客を取り夜を共にする寝間兼妓女たちの住まいがある。
別館は二階までしかなく、主に妓楼で働く男衆の宿舎となっている。
香舜楼の楼内は、外観同様に豪華絢爛であり、また意趣卓逸とした風流な造りをしている。細部にまでこだわり、粋を凝らした装飾と造形美で常世の春を格調高雅に演出する。
蘇芳曰く、贅の限りを尽くし造り上げられた、風流を気取りやたら派手に小洒落ている馬鹿デカイ箱である。
一見すると何の変鉄もない唯の高級妓楼なのだが実は、この妓楼には常人には行けない場所がある。
そこへ通じるのは、この妓楼の四階最奥にある朱塗りの大扉(通称、赤門)のみ。
この大扉は、特殊な呪が掛けられており、特定の人間にしか見えない。そして許された者以外は通り抜けることが出来ないようになっている。
常人には、行き止まりの廊下の壁に『愛蓮獅子』という獅子を描いた絵画が飾られているようにしか見えないのだ。
朱雅と蘇芳は、その大扉を通り抜ける。
朱塗りの大扉と言っても厳密には、そこに扉はなく蘇芳たちの感覚としては門をくぐると言ったほうが正確である。常人には壁をすり抜けていくように見えているだろう。
そうして、続くその門の向こう側が妓楼・香舜楼の裏側。
暗殺刺客組織・琥蓮の居城である。
琥蓮側は六階建てになっていて更に、地下が二階まである。
最上階となる六階は、すべて琥蓮頭領の居室となるが、現在は筆頭黒士が利用している。
五階には、筆頭格の自室があり、
赤門がある四階は、炊事場、湯場、道場大広間などの皆が共同で利用する場となる。
三階から一階は順に、黒士廊、紅士廊、碧士廊と呼ばれ、各階それぞれ筆頭格以外の上格刺士の自室(これら刺士を部屋持ちと呼ぶ)と、部屋持ち以下の下級刺士たちが暮らす大部屋の他、刺士たちが武術鍛練、会議、酒宴等に利用する大広間がある。
地下は、書庫や武具の倉庫、武器や毒などの薬品開発といった開発製造を行う部署があり、最下層は拷問折檻などを行う牢屋がある。この最下層の牢屋階だけは表側の妓楼と繋がっている。
香舜楼の内部はこのように妓楼側(表側)と琥蓮側(裏側)の二部構造となっているカラクリ仕掛の御殿なのだ。琥蓮側は地下一階から六階までが組織の者以外の立ち入りが禁じられた場所となる。
蘇芳と朱雅が、琥蓮の城内を歩いていくと、すれ違う団員たちは、道を開け礼をとる。
「朱雅様、並びに蘇芳様。お帰りなさいませ。」
蘇芳も、朱雅も、共に筆頭格の刺士であるため、組織の者からすれば二人とも上官である。ゆえに、皆礼を取り敬意を払う。
二人は、団員たちに挨拶を返すことなく、スタスタと奥に進んでいく。
昇降機を使い上階へ上がる。
「悪いけど、私は着替えてから執務室に行くわ。お茶でも用意して待っててよ」
そう言うと、蘇芳は自室がある五階で昇降機を降り、部屋に向かった。