プリテンダー
杏さんはおそるおそる玉子焼きに手を伸ばして口に運んだ。

「美味しい?」

「美味しい!」

まったくもう…。

今日の杏さん、ホントにかわいい。

僕は愚かにも勘違いしてしまいそうだ。


杏さんは国内でも指折りの大企業の令嬢で、僕は料理くらいしか取り柄のないしがない庶民のサラリーマンで。

単なる成り行きで婚約者のふりをしているだけなのに。

杏さんだって、お祖父様が決めた好きでもない幼馴染みと結婚するのがイヤで、僕を好きなふりをしているだけなんだ。

そんな事最初からわかっているのに、どういうわけか、なんだか少し胸が痛い。


そう言えば…。

美玖との初めてのデートの時も、早起きして張り切って弁当を作ったっけ。

美玖が海老フライが好きだと言ったから、朝早くから海老の下ごしらえをして、衣を付けて油で揚げて。

喜んでくれるといいなと思いながら、前の晩からタレに漬け込んだ鶏肉を焦げないように丁寧に焼いて。

すごく美味しいって言いながら食べてくれたんだけどな。

< 112 / 232 >

この作品をシェア

pagetop