プリテンダー
「どうかした?」

杏さんがリンゴのウサギを手にして、僕の顔を覗き込んだ。

…いけない。

僕は今、杏さんとデート中なんだった。

思いきり楽しむって言ったのは僕なのに、感傷に浸ってる場合じゃない。

「どうもしないよ。今日の晩御飯は何にしようかなって考えてた。何がいいかな?」

苦し紛れに、そんな言葉を吐き出した。

「章悟の作る御飯はいつも、なんだって美味しいよ。」

「…そっか。」

杏さんにそう言われると、演技なんだってわかってても嬉しい。

「晩御飯の事は後で考えよう。章悟、お弁当あんまり食べてない。」

「ああ…うん、そうだね。」

食事中に難しい事を考えてはいけない。

杏さんは敏感にそれを感じ取ってしまう。

「ハイ。」

杏さんがおにぎりを手で掴んで差し出した。

「このおにぎり、一番好き。」

刻んだ梅とシソとちりめんじゃこのおにぎり。

僕が初めて杏さんに食べさせたおにぎりだ。

僕は杏さんの手からおにぎりを受け取って口に運ぶ。

「美味しい?」

「うん、美味しい。って…僕が作ったんだけどね。」

「だから、美味しいんだよ。」

杏さんが穏やかに笑った。


杏さん。

今だけはその笑顔、演技とか偽物じゃなくて、僕だけのために向けてくれたんだって、思ってもいいかな?



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