プリテンダー
杏さん、今日の僕は上手にあなたの恋人を演じられたかな?

いつか演技じゃなく本当の笑顔を見せてくれたらいいのにと思っている僕は、どうかしてる。

きっと、今日があまりに楽しかったから、ちょっと勘違いしているだけなんだ。


気が付けば僕は、杏さんに喜んで欲しくて、杏さんのために料理を作っている。

いつの間にか、僕の中で杏さんの存在がどんどん大きくなっている事に気付いた。

いつか終わりが来るとわかっているのに。

杏さんと二人の生活が当たり前になってしまうのが、少し怖い。


時計の針は間もなく12時を指そうとしている。

日付が変わるまでのほんのわずかな時間、もう少しだけ、恋人ごっこの続きをしようか。

杏さん、デートのしめくくりは、おやすみのキスだよ。

「杏、おやすみ。」

僕は杏さんが目を覚まさないように小さく呟いて、その柔らかそうな唇に唇を近付けた。

……やめておこう。

眠っている杏さんにこんな事したって、しょうがない。

僕だけが勝手に杏さんを愛しく想っても、どうにもならないんだから。


時計の針が12時を指した。

「所詮は、偽物だもんな…。」

僕は思わずそう呟いて、そっと杏さんの髪を撫で、自分の部屋へ戻った。


好きでもない渡部さんとはあれだけ何度もキスをしたのに、僕は眠っている杏さんの唇に触れる事もできなかった。







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