プリテンダー
僕は杏さんの頬を両手で包み込んで、その目をじっと見つめた。

「嘘じゃ…ない…。」

杏さんの目から、涙がポロリと一粒こぼれ落ちた。

ホントは泣きたいくせに。

こんな時まで強い自分でいようとする杏さんが愛しくて、堪えきれずにこぼれた涙を受け止めたくて、僕はたまらず杏さんを抱きしめた。

「強がらないで…今だけは…僕にだけは、本音で話して。泣いてもわめいても、全部僕が受け止めるから。僕はまだ…杏の婚約者だよ?」

「……章悟…。」

杏さんは僕の胸に顔をうずめて、小さな嗚咽をもらしながら涙を流した。


僕がどんなに引き留めても、杏さんは自分の決めた道を行くんだろう。

偽物の婚約者としての僕の役目も、まもなく終わりを迎える。

だから今だけ…もう少しだけ、このままで。

僕の腕の中で無防備に涙を流していて欲しい。


杏さんの涙に僕も鼻の奥がツンとなって、視界がぼやけた。




< 172 / 232 >

この作品をシェア

pagetop