プリテンダー
しばらくすると杏さんは、僕の腕の中で泣き疲れて眠ってしまった。

子供みたいにあどけない寝顔には、いくつもの涙の跡。

僕は杏さんの髪を何度も優しく撫でた。


偽物の婚約者じゃなくて、本物の恋人になれたら良かったのに。

杏さんに笑って欲しくて、喜んで欲しくて。

杏さんに言えないような事をしている汚ない自分を知られるのが怖くて。

自分でも気が付かないうちに、僕の心の中には杏さんがいる。

杏さんが笑うと嬉しくて、二人で向かい合って食事をすると、温かく心が満たされた。

僕の手で連れ去ってしまえたら、杏さんはずっと笑っていてくれるだろうか?

……バカだな。

こんないい加減で汚ない僕では、杏さんを幸せになんかしてあげられない。

「ごめんね…何もしてあげられなくて…。」

強く抱きしめた杏さんの髪に、僕の目から涙がこぼれ落ちた。



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