プリテンダー
「本当に、それだけ?」

僕が尋ねると杏さんはまた口ごもった。

そして僕のシャツをギュッと握りしめた。

「……本物の恋人にするみたいに…。」

「…みたいに?」

「優しく…して欲しい…。」

優しく…何をして欲しいのか。

僕は杏さんを抱きしめながら考える。

「優しく…何をして欲しいの?」

「…本物の恋人にするみたいに、優しく……抱いて欲しい…。」

杏さんは僕の胸に顔をうずめたまま、消え入りそうなか細い声でそう言った。

「えっ…。」

何かの間違いじゃないかと僕は耳を疑った。

「好きな人に一度も抱かれた事もないままで、決められた相手と結婚したくない…。」

杏さんの気持ちは痛いほどわかるけど、その相手が偽物の僕なんかでは、きっと杏さんが後悔するだろう。

杏さんは“好きな人に”と言った。

たとえ僕が杏さんを好きでも、杏さんの好きな人は僕じゃない。

どんなに上手に恋人のふりをしても、そこに愛がなければ、きっと虚しさが残るだけだ。

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