プリテンダー
僕がどんなに本気で杏さんを想っても、これ以上ないくらい優しく抱いても、僕は杏さんの本物の恋人にはなれない。

杏さんとの思い出を増やすほど、明日からの一人の生活はつらくなる。

きっとこれで良かったんだと思う。

たとえ体を重ねても、杏さんが僕を好きだと言ってくれなければ意味がないと気付いたから。




翌朝。

僕はいつも通り朝食と弁当を用意した。

僕と杏さん、二人分の弁当。

杏さんが好きだった蓮根のはさみ揚げやカボチャの煮付け、ほうれん草のごま和え、タコさんウインナーにリンゴのウサギ。

そして刻んだ梅とシソとちりめんじゃこのおにぎり。

それからいつものように具だくさんの味噌汁。

杏さんに僕の料理を食べてもらうのは、きっとこれで最後だ。


僕が会社に行く時間になっても、杏さんは部屋から出てこなかった。

夕べの事が気まずくて、顔を合わせづらいのかも知れない。

最後くらい一緒に朝食を食べたかったのに。

僕は合い鍵をテーブルの上に置き、静かに頭を下げて部屋を出た。


さよなら、杏さん。


恋人のふりはもうできないけど、僕が勝手に杏さんの事を好きでいるくらいは許されるかな。

伝える事さえできなかったこの想いが、いつか自然と思い出に変わるまで。



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