プリテンダー
「さっきも言ったが、おまえが誰と何をしようと、それは自由だ。けどな、ここは会社だ。やるならよそでやれ。」

「ハイ…申し訳ありませんでした…。」

僕は立ち上がって深々と頭を下げた。

そんな僕を一瞥して杏さんはドアへと向かう。

杏さんは試作室を出る直前、ドアノブに手をかけて、一瞬立ち止まった。

「酔っていなくても…おまえは誰にでもあんな事をするんだな。」

背を向けたままボソッとそう呟いて、杏さんは試作室を出ていった。

え……?

酔っていなくても…って、誰にでもって、どういう意味だ?


またイヤな汗が、僕の背中を流れ落ちた。



午後は部署のデスクでパソコンに向かい、新商品の候補に上がったメニューの栄養価を計算していた。

キーボードを叩きながら、ふとした時にさっきの事が頭をよぎる。

なりゆきとは言え、渡部さんにあんな事をしてしまった。

キスされた時、彼女を自分からひき離せば良かったのに、僕はそれをしなかった。

僕は一体どうしたかったのか?

好きだと言われて戸惑いこそすれ、渡部さんの事を好きだと思った事は一度もない。

なのにどうしてあの時僕は、あんな事をしたんだろう?


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