リナリア
「皆さん、口を揃えて仰いますね。『伊月くんの写真見たよ』と。」
「はは。なるほどね。」
「…知春さんのおっしゃることも、もっともかもしれません。」
「でしょ?」

 名桜は小さく頷いた。

「今までは自分の撮った写真の反響なんて、たかが知れていたけれど今はそうじゃないんですね。今はというか、知春さんという今を走る俳優さんを撮影するということがどういうことなのか、痛感しています。」
「…まぁ、俺の知名度が少し上がってきたところでの雑誌で、しかも俺が今まで見せてこなかった表情でもあったわけだし。あれは本当にやられたなぁって感じ。今振り返ってもね。」
「…あまりに完璧だったからこそ、剥ぎたくなったんですよ。」
「俺はそういうプライベートな俺を出すつもりはなかったんだけどね。」
「今も、そうですか?」

 知春の目を名桜が覗き込んだ。

「今も、…そうだね。ただの伊月知春は、ただの麻倉名桜にしか知られたくないかな。カメラマンの麻倉名桜には、俳優の伊月知春としてありたいと思うのは変わらないよ。だからといってあの写真が嫌だったわけではなくて、むしろ現場でもああいう顔ができていて、普通の俺もあの場にはいたんだって再確認できて、安心した部分もあったんだ。」
「安心…ですか?」
「うん。ここのところずっと、俺の周りが目まぐるしく変化していて、ちょっと宙に浮いていたというか…地に足つかない感じもあったから。」
「…確かに、知春さん、一気に駆け上った感じですもんね。」
「駆け上ったまではいかないけど、まぁ忙しくなったね。自分でもなんでこんな風になっているのか、いまだによくわかってないよ。」

 零れたように落ちた笑いは、小さく闇の中に消えていく。

「はー…でも、こんな風にただの伊月知春としていられるの、普通に今日が最初で最後かも。」
「働きづめですか?」
「うん。」
「奇遇ですね、私もですよ。」
「やっぱり?…じゃあ、まぁほどほどに頑張ろうね。何度か名桜のところのスタジオに行く予定だよ。」
「昨日予定表もらいました。その時はカメラマンとして、よろしくお願いします。」
「うん、よろしくね。」

 二人は顔を見合わせて、優しく微笑んだ。
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