リナリア
 春の空気と、小さな花びらを揺らす名も知らぬ花と、綺麗な顔。その三つが一つのフレームの中に収まっているなんて、名桜にとっては奇跡みたいな光景だ。夢中でシャッターを切る。

「…失礼ですみませんでした。」
「いや、全然。むしろただかっこいいとか言われるより面白かった。それに、名桜の言い方は…なんていうか、本当にその瞬間にそう思ったから出ちゃったみたいに聞こえたし。」
「…まさにそうなんですけどね。」
「そうなんだ。ところで…。」
「っ…!」

 いきなりこっちを向かれる。ファインダー越しといえど、その気の抜けた笑顔を向けられた側としては心の準備ができていない。まだその表情にシャッターが切れない。

「名桜って横顔が好きなの?」
「そんなことは…。」
「あの写真も横顔だったでしょ?」
「…知春さんの横顔が、綺麗だと思ったからです。特にあの日は。正面が悪いとかそういう意味じゃなくて。」
「うん。」
「人は、必ず正面でばかり接するわけじゃないですよね。特に、親しい人だと隣を歩くこともあって。そういう、当たり前の中にある一コマにしたくて。」
「なるほどね。じゃあ、やっぱりあの記事のコンセプト的に名桜の狙いはマッチしてたんだなぁ。」
「デート企画でしたっけ?」
「そう。そしたらあの写真、使われるよね。デート中、不意に見せた笑顔、とか誰かが言ってたのを聞いた。」
「…芸能人は大変ですね。素の自分も切り売りされる。」
「切ったの名桜だけどね。」
「…見てはもらいたかったけど、不特定多数にとまでは想定してませんでした。」
「名桜はそこ、考えたほうがいいかもね。名桜の写真は、不特定多数に見られるものになるよ、これからますます。」
「…仕事用の写真は仕事用の写真と思って割り切ってますよ。硬い表情にならないように、というのと、構図だけはこだわらせてもらいますけど。自分が好きで撮る写真とは別です。」
「わからないではないな。…だから俺も素を出さない、というこだわりがある。名桜に破られたけど。」
「…すみませんでした。」

 謝るためにここに来たのだろうかと思うくらいには謝っている気がする。
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