リナリア
「ずっとここに立ちっぱなしですか?」
「そうね。基本動かないと思うんだけど。で、えっと、どこまで来たっけ?」

 深冬は知春に問いかけた。一番前に座って進行表を眺めている知春は、顔も上げずに口を開く。

「次、誓いのキス。」
「えっ!?あ、あの…。」
「なぁに?」

 人がキスをするところを生で見るのは初めてだ。

「あの…キスするところって、シャッター切っていいんですか?」

 思わず訊いてしまう。それこそ、キスというのは特別なのではないかという気持ちがあるからだった。

「うん。お願いしたいな。」

 真っ直ぐに返ってきた言葉に、名桜の方が赤面する。これは知春に頼まれた仕事だというのに。私情を挟んではいけないことはわかっていても、頭と心はちぐはぐだ。

「名桜さん、顔が赤くなってしまったね。」
「あーほんとだ。」

 新郎と新婦にそう指摘されれば、より頬の熱は上昇した。知春はすっと立つと、名桜のもとへとやってきた。

「気、引けるよね。」
「し、仕事なので、やれと言われたらやります…けどっ…!」
「偉い偉い。」

 軽く乗った、いつもの手。見上げた先に見えたのは、いつもとは違う表情。どこか切なそうなその表情に、名桜の胸がざわつく。今日最初に会った知春の表情に近い気がした。

「知春…さん?」
「ん?」
「あの…。」

 その先を、名桜は言えなかった。浮かんだその表情が、『今はそれを言わないでほしい』と言っているような気がしたから。
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