人魚になんて、なれない
パレットの上の絵の具がなくなりチューブに手を伸ばすと、開け放した窓からいつものように水音が聞こえた。


もう、外を見なくても分かる。


菊池が今日も練習に来ているのだ。


ちゃぽん、ちゃぽん、ちゃぽん。


連続した水音は、背泳ぎをしているのだろう。


たった数日で、その様子まで思い描けるようになった。


時計を見上げると、キャンバスの前に座ってから丁度一時間経っていた。


休憩するにはいいタイミングだろうと半分自分に言い聞かせて、海音は椅子から立ち上がる。


ぐっと伸びをすると、当然のように背骨が鳴る。


肩を回しながら窓に近づき見下ろすと、海音が想像したとおり、プールでは菊池が気持ちよさそうに泳いでいた。


すいすいと泳ぐ姿は生き生きしていて、水の中にいることが好きなんだ、と全身で叫んでいるようだった。


もう少ししたら、またプールの底に潜るのだろう。


水中から空を見るために。


今日もいい天気だから、きっと綺麗に見えるな。


海音は菊池の体が沈む前に、海音は窓から離れた。


水中に消える菊池を見るのは、あまり心臓によくないからだ。


大丈夫だと分かっているが、やはり心配になってしまう。


今日の昼飯は何かな。


重箱の中身を期待しながら、海音は再びキャンバスの前に座った。
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