押しかけ社員になります!
…幻影?好き過ぎておかしくなったのかしら私…。
何故部長がここに…。
ドッペルゲンガー?今、上に居たよね…。
ワープ?いやいや、そもそも生身の人間だし。有り得ないから。
…あ。役員専用エレベーター…、か。
「送る」
「え?でも…、部長まだお仕事があるって」
さっき言った。
「戻ってからしたら済む事だ」
「でも、そんな事したら時間…遅くなります」
「だから。戻ってしたら済む事だ」
「そ、そうですけど」
何だか、怒ってる?それに全然引かない。
「嫌か?」
「え?」
嫌なんて、ある訳無い。そんな事は絶対無い。
だけど、突然こんな事を言われる理由が解らない。
きっと、困惑したそのままの気持ちが顔に出ていたのだろう。
「…恐いか?西野も、俺の事」
そんな事あるはず無い。…だけど、しいて言うなら、今の部長はちょっと解らなくて。だけど、恐いかって聞かれたら、それとは違う。
だって、好きで焦がれているんですから。
今だって、不意に部長に掴まれた手首の、早くなる脈を感じているもの。
首を振った。何度も振った。
「じゃあ、送る。…いいな?」
「…はい。…いいのですか?」
「いいんだ」
あぁ…。こんな返事の仕方では、恐いと思ってると思われてしまう。
気が付けば、掴まれた手首はそのままに、もう地下の駐車場に向かって歩いていた。
「さあ…」
助手席のドアを開け、乗るように促された。
「有難うございます、失礼します」
…乗ってしまった。
運転席に乗り込むと、エンジンをかけ、静かに滑るように動き出した。
「西野、教えてくれないか、通りに出たらどっちに?」
「あ、はい、えー、…左にです」
「解った。ずっとナビをしてくれ。指示は早めに頼むぞ」
「あ、はい、解りました」
夜間は景色が解りにくい。
たどたどしい私のナビで何とか辿り着いた。
指示が遅くて部長に凄く申し訳無かった。
「あの、すみませんでした。色々下手くそで。
有難うございました。すみません、まだお仕事があるのに」
「いや、いい。それは俺の事だ。部屋に入ってくれ」
「はい、有難うございました。あの…おやすみなさい」
「ん、おやすみ」
車を降りて小走りで階段に向かい、駆け上がった。
部屋の前まで来て振り返った。
駐車場の端に停められた部長の車。
フロントガラスをゆっくりワイパーが行き来していた。
部長の横顔が見えた。
鍵を開けてドアを開けた。
もう一度振り返った。
部長の車はさっきと変わらない。
停まったままだ。
…あっ。
きっと部屋に入るのを、見届けてくれているんだ。
部屋に入り明かりを点けた。
急いで通りの見えるベランダ側に走った。
部長の車は通りに出ていた。
進行方向の信号は赤。ゆっくり、停まろうとしていた。
部長…。恐くなんかない。とても紳士だ。
…あ、これ。
傘を握りしめていた。
使わずに、しっかり持って帰ってしまった。