Love Cocktail
「今、悲鳴が聞こえたような気がしたが……」

寄り掛かっていた台から手を離して、眉をひそめているオーナーに微笑みかける。

「気のせいじゃないですかぁ?」

踵に体重をかけながら、ゆったりと手を振った。

実はかなり痛いんだけどね。

「そうか?」

難しい顔のオーナーから、視線を外す。

ここは職場で、はしくれバーテンダーでも、プロとしては譲れない場所だもの。笑顔だよ笑顔。

次々に入るオーダーをこなしつつ、交代のバーテンダーさんが来てカウンターを下がる。
裏に回って座り込んだ。

なんとか、無事終了。

「吉岡さん、どうした?」

厨房に座り込んでいたら、このラウンジバーのマネージャーがびっくりした顔で近づいて来る。

「なんでもないですよぅ」

明るく言って立ち上がり、「お先に失礼します!」と元気よく厨房を通り抜けた。

それから従業員用のエレベーター前で、ちょっとパンプスを脱いてみて……。

「うわぁ……」

惨状に目をつぶった。

小指の側面から足の側面、ちょうどミュールが当たる部分の皮が、ズルッと剥けて血が出ている。
応急処置の絆創膏はずれてるし、ストッキングなんかは血みどろですよ~。

でも……この足で靴を脱いでぺたぺたと歩く訳にいかないし、パンプスを履き直してエレベーターに乗った。

靴擦れ起こした時に、やめておけばよかったかもしれない。それもこんなになってからじゃ今更だけど。

とにかく、ロッカーで着替えを済ませてから考えてみる。

さて、どうしようか。

裸足で帰る訳には、もちろんいかない。だからと言って、このままここに泊まる訳にもいかない。

ミュールを履いて帰るのは論外。まだ低いパンプスの方が無難。

とりあえず患部にハンカチを巻いてから、そっとパンプスを履くと、ロッカールームを出た。

それこそ、そぅっと歩きながら、従業員エレベーターのボタンを押す。

帰りはタクシー使おう。

ちょっと痛い出費だけど、これから駅に行って階段上って下りて、なんて考えたくもない。

なんか、もう疲れたなぁ。そう思ってぐったりと壁に頭をつける。

タクシーすぐ捕まるかな。お客様のタクシー乗り場まで、歩きたくないし……。

「……吉岡?」

低い声に目を見開いた。慌てて姿勢を正して振り返る。

廊下の先に今日はグレーのスーツ姿のオーナー。何故か仁王立ちで、しかも腕組みプラスしかめ面。

「あれぇ、オーナー。用は済んだんですか?」

「ああ。それでこれから飯でも行こうか、と言う話になってだ……」

スタスタ近づいて来ながらも、オーナーの眉が少しだけ険しくなっていく。
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