幻が視る固定未来
「……もっと私が楽しくする」


呟くように有希乃が言った言葉。オレははっきりとは聞き取れなかった。

「ん? なんか言ったか」
「私がもっと灼蜘を楽しませる。他の女子に負けないくらに」
「……」

あぁスマン。今までの後悔や悲しみは全部忘れてくれ。むしろ忘れろ。

有希乃は“妬く”という感覚を知らないだけで、ちゃんと妬いてくれていた。考えてみれば嫉妬なんて感情、今までに味わったことなんてないんだろう。
オレだってきっとなかっただろう。けど、オレはそんな嫉妬という感覚を知っている。
それはオレが勝手に有希乃の隣にいる人を、オレではない誰かと考えた時期があったから。それはもう過去の話だけど。

「私には無理?」

微妙な変化。それは表情ではなく声。どことなく不安や悲しみのある震えた声に聞こえた。オレの錯覚かもしれないけど。
だからオレはそんな有希乃を抱き寄せ、しっかり抱きしめていた。

「大丈夫だ。有希乃よりも楽しい奴なんてこの世にいない。ちょっと意地悪言っただけだ。悪かった」
「そう……」

安著の声、というものなのか。ひょっとすれば今の有希乃はいつもと違う表情かもしれない。けどオレは抱きしめた腕を解こうとは思わなかった。
それに有希乃は最後に『よかった』なんて言うんだから、余計に離したくなくなる。
フワッと風の波に乗るのは落ち着いた石鹸の仄かな香り。シンプルだけど一番、有希乃に合っている匂いだと思う。

――そして有希乃の暖かく柔らかい体。正直、母上の抱擁とは比べものにならないくらい心地いい。
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