その男、猛獣につき
「いえ、何でもないです。」
私はもそもそと答える。
5症例なんてありえない。
そんな事、口になんて出せなかった。
急性期の病院ならまだしも、この慢性期の小さな病院で、5症例のレポートを先生は言い渡したのだ。
普通の実習先なら、通常8週間の実習で2症例程度。あとはその学生のレベルによって増減させる。
例にならって、極々普通の学生のはずの私も前の実習は2症例のレポートだった。
今回もそう思っていた。それなのに……。
先生は感情も込めずに、「5症例」と言い放った。
《冷徹の興梠先生》
本当、ぴったり。
ちょっとだけ恨めしげに先生を見ても、それに気づいてないのか涼しげな表情を崩さない。
「5症例、1つも手抜きするなよ」
そう言って、念押しの蛇睨みをされたから、私は震え上がる。
「はい……。」
消え入りそうな声で、返事をするのが精一杯だった。