きみに触れられない
「お帰り」

家に帰れば、そんな暖かい声が聞こえた。

「ただいま、お母さん」

ああ、今日初めてお母さんに会った。

お母さん穏やかな赤のエプロンを身に着けて、穏やかに微笑む。

「今日、朝ご飯は何を食べたの?」

「あー、何も食べなかった」

ごめんね、と謝れば「食べないと元気がでないわよ」と窘められる。

玄関に大きな黒い革靴があるのを見つけて、ちょっと嬉しくなった。

「お父さんも帰ってきてるの?」

「そうよ」とお母さんは嬉しそうに返事した。

「へえ、早いね」

「今日は早く上がれたんだって」

「ふうん、良かったね」

そんな会話をしながらリビングに入れば、お父さんが英語ばかりで書かれた何かの雑誌を難しい顔で読んでいた。

おそらくは、医学関係の雑誌。

きっとついさっき帰ってきたのだろうに、またすぐに勉強しているのだろうか。

「ただいま、お父さん」

声をかけると、お父さんはハッと雑誌から顔をあげて優しく微笑んだ。

「お帰り」

「お父さんもお帰り」

「ああ、ただいま」

久々に会話する。

「しかし、美咲の方が遅く帰ってくるとはな」

高校生は大変だな、とお父さんは笑う。

「まあ、なんとかやっていけるから大丈夫」と私は笑いながら席に着いた。

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