僕が君の愛

 加織は声が聞こえた方へと振り返る。未成年でもなく、学生でもない加織が、喫煙を咎められる訳ではないのだが。不用意だったために動揺してしまった。
 そこには、この看護専門学校の教員である鷹橋 瑤子《たかはし ようこ》がいた。瑤子は、つい2年ほど前までは現場に立っていた看護師であり、当校の卒業生だ。年齢も他の教員より若く、加織よりいくつかしか変わらない。故に、教員のなかでも加織と親しい人物であった。

「鷹橋先生。どうしたんですか?まだ昼休み時間でしょう?」

 加織は、手にしていた煙草を携帯灰皿の中に押し込む。
 その様を見つめながら、瑤子も加織に倣う形で壁に背を預ける。手にしていたファイルを顔の位置まで持ち上げて。

「これ。月末にある、新入生のオリエンテーション実習の打ち合わせ。病棟の方で、昼休み時間に来てほしいって要望があってね。現場に合わせ動かなきゃならないから。昼休み返上ですよ」
「お疲れ様です」
「江馬さんだって、最近は忙しかったでしょう?新入生の奨学金だの寮の手配だので……」
「今月に入って大分落ち着きましたけどね」
「だから、また始めちゃったの?それ」

 瑤子が、加織の手にしていたシガーケースを指差す。加織が喫煙者であることは、学校の職員も生徒も周知のことだった。お陰で。あの短期間の禁煙も、もちろん皆が知るところであった。副校長など手を叩いて喜んでいたのだが。最近になり、再びシガーケースを持ち、昼休みに姿を消す加織を眺め、深い溜め息をこぼす姿へと変貌していた。

「もともと禁煙しようと思っていたわけじゃなかったんです。邪魔になるので手にしていなかったんですけれど……。今は、必要だから吸ってます」
「なんだか複雑なのね。煙草なんて、ただの嗜好品だと思っていたけれど」
「本当ですよね」

 含みのある眸で、シガーケースを眺める加織の姿に、瑤子は首を傾げる。煙草にまつわる思い出があると聞いたことはあった。が、今の加織が口にした言葉には、それとは違う意味が含まれているように感じられたからだ。じっくりと、時間をかけ話を聞き、加織の翳る眸をどうにかしてやりたいと思うのだが。
 腕にはめている時計を確認する。余裕がないことに、瑤子は小さく舌を鳴らした。

「明後日の金曜日、仕事終わり。久々にご飯食べに行こうか。のんびりお喋りしたいしさ」
「イイですね」
「じゃ、店はお任せする」

 片手を上げ。足早にその場を後にする瑤子の後ろ姿を、加織は眺めていた。

< 15 / 48 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop