僕が君の愛
店内に大きな音が響く。肌と肌がぶつかる甲高い音だ。
眸に、溢れんばかりの涙を溜めた加織が。左の頬を赤くした肇を、鋭い視線で睨む。先ほどの音の正体は。加織が、肇の頬を叩いた音だった。加織の突然の行動に、動揺しているはずであろう肇だが。彼に慌てた様子は一切見られない。一度、ゆっくりと瞬きがされた眸は、憂いを増し、加織を見つめ返す。
口を開いた加織から、感情を押し殺した、低くも震えの帯びた言葉が紡がれる。視線を逸らすことなく。
「私にも……こんな私にも。それなりのルールがあります。軽い女だと思って、馬鹿にしないで下さい」
「馬鹿になどしてはいない」
「じゃあ、どう言うつもりですか?これ以上、私を惑わすのはやめてください。客へ対するリップサービスは、私には不要です」
「……私のことが嫌いかい?」
「嫌いですよ。大嫌いです。肇さんには、他に大事な人がいるのでしょう?未来を誓い合った相手が。私は。……私は、私だけを見つめて、大事にしてくれる人に愛されたいんです。もう、誰かの影に怯える恋なんてしたくない」
「加織……」
肇が、加織の頬を再び包もうとし差し出した手を、加織は払いのける。小さな動作ではあったが、加織の拒絶を表すには、十分だった。
それをきっかけとして。加織の眸を覆っていた薄い膜が。もう耐えられないと言うように、決壊する。姿を変え、滴となり頬を伝う。一度零れてしまえば、止める術など加織は持ち合わせていない。頬を濡らす涙を、乱暴に自身の手の甲で拭い、席を立つ。引き止める肇の言葉を無視し、加織はその場を駆け出した