僕が君の愛

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 肇のシガーバーから飛び出した加織は、タクシーに飛び乗り、早々に帰宅していた。着替えもせず、化粧も落とすこともなく。玄関の戸を開けた瞬間、崩れ落ちるように座り込み、膝に顔を埋め泣いた。唇を噛み、声を押し殺して。声を上げ泣けば、少しは胸を締め付けるような痛みも和らいだかもしれない。だが、出来なかった。
 大人の女としてのプライドを忘れ、子供の様に。声を上げ泣いてしまえば、自身が必死で守ってきた。今まで作り上げてきた鎧すら、壊れてしまいそうだったから。最後の一線だけは守らねばならない。頭の片隅で、ほんの僅かながらも残っている冷静な加織が、そう自身に忠告している。

 不意に。加織の脇に放り投げていた鞄から、携帯電話の着信を知らせる音が届く。唇から漏れる声を必死で押さえ込みながら、ぼやける視界を瞬きで誤魔化し、着信の名前を確認する。そこには、同僚である鷹橋瑤子の名前があった。数回の深呼吸を繰り返し、震える喉を押さえながら、加織は通話ボタンを押す。

「もしもし?」
『江馬さん?鷹橋です。今、自宅にいる?』
「……はい、自宅ですけれど。何かありましたか?」
『そう、良かった。……本当なら。私もその場に行った方がいいのでしょうけれど……。私は加織さんの味方だから。これだけは忘れないで。何かあったら電話して。飛んで行くわ』
「はあ……」

 『絶対よ。必ずね、約束よ』と。何度も念を押し、加織と瑤子の通話は終了する。瑤子の、意図の分からない電話に、加織はただただ首をかしげるばかりだ。たが。瑤子と話したことで、止めることの出来なかった涙が休憩したようだった。固まってしまった膝を、苦労しながらも伸ばし、ぎこちない動きで、加織は玄関から立ち上がる。
 今のうちに、ベッドへ身体を沈め、睡眠の闇に逃げ込んでしまおう。そう考え、加織は寝室を目指すべく足を進めた。瞬間。
 訪問者をつげるベルが加織の居住空間に響く。


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