僕が君の愛
7・覚悟はいいかい?
 加織は、洗面台に腰をおろし、眸を閉じていた。リビングは変わらずの暗闇だが、バスルーム内は煌々と灯りがともされていた。眸を閉じる加織の目の前にいるのは、もちろん肇だ。加織の両足を、自身の両足で挟むように立ち、加織の顔に手を伸ばしている。
 前髪が邪魔にならないようヘアバンドをつけて。化粧落としのクリームが丁寧に加織の顔に広げられ、化粧と馴染む。
 顔の表面を撫でる肇の指先。その感触を愉しんでいた加織は口を開く。

「随分と慣れているようですけれど。よくしてあげるんですか?こういうこと」
「まさか、初めてだよ。私くらいの年になると、内心とは関わらず、平然を装えるものだ。客商売を長くしていれば尚更のこと」
「そういうものですか。でも、どうして私の化粧を落とすだなんて。男性は女性が素顔を晒すのを嫌がるものじゃないですか?」
「そういう男もいるかも知れないが。私は嬉しく思うよ。愛される男だけの特権だろう。素肌と同様に、素顔を見つめられるのは」

 小さく笑みを漏らす息と共に聞こえる肇の声。視界は奪われていたが、加織には肇がどんな表情で言葉を紡いでいるのか。想像することができた。加織もつられ笑みを浮かべる。
 暖かいタオルでクリームを丁寧に拭い取られ、加織は眸を開いた。見えたのは、想像していたとおり。優しげな、少しだけ垂れた眸を細め、口元で弧を描く肇の笑顔。
 加織の唇に、肇のそれが重なる。小さく音を立てて。

「急に変わる必要などない。化粧を鎧と見なし頑張ってきた姿を否定することもない。だが。もし、それに疲れたのなら。私の前でだけ、素顔を晒すといい。私が、君の全部を受け止めよう。加織」
「肇さん……」

 言葉で返事をする代わりに、加織は笑みを肇に返す。それを受け取り、肇の両手が加織の頬と後頭部を包み込む。再び重なり合うふたりの唇。
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