僕が君の愛
肇は、身体が縦にも横にも大きくクマの様な人である。だからといって、決して太っている訳ではない。常日頃から身体を鍛えているのだろう。カクテルを作る際に捲くったシャツから覗く腕は、適度に筋肉がつき、逞しかった。それなのに。少しだけ下がりめの眸に、高い鼻、薄い唇。外国の匂いがする、甘いマスク。アラフォーだから出せる、渋さも兼ね副えていた。
この店の暖かく落ち着いた雰囲気は、作られたものだけではない。肇自身が醸し出しているものも大きいだろうと加織は思っている。
食事が運ばれてくるのを待っている間、加織は鞄から煙草を取り出す。1本を抜き取り、使い捨てライターで火を点ける。ひとつ大きく息を吸い吐き出すと、薄暗い天井に紫煙がのぼってゆく。ぼんやりとその煙を見つめていると、心の隅にしまっていた思い出が、いつも顔をだしてくる。
元々、煙草は好きではなかった。
この煙も。
加織に煙草を吸うきっかけを与えたのは、初めて付き合った男性だった。身体も心も。全てを委ね、そして許した異性。
付き合い始めた当初、加織は20歳になったはかりで。相手は5歳年上。今年で29歳になる今の加織から見れば、25歳などそれほどまで大人には思えないのだが。あの頃の加織には、違った。スーツを身に纏い、煙草を口にしながら仕事の話をする彼は、自身とは別世界なほど魅力的な大人な男性に感じられていた。
その彼は1日に2箱近く吸ってしまうほどのヘビースモーカー。加織が身体を案じ、禁煙を促してしまう程に。
付き合って3ヶ月も経った頃、彼の仕事が忙しくなりはじめた。そして、加織は就職活動をする時期を迎え……。悪いことは重なると、よく言ったものだと加織は思う。
連日残業の日々に、彼は疲労困憊。加織は就職先への訪問や面接に追われるも、内定は貰えず。会える時間を互いに作ろうとする心の余裕もなく、連絡すら出来ない日が幾日も続いた。やっと。数週間ぶりに、共に過ごす時間を作れていても、それはほんの僅かな幸せで。会えない間に溜まってしまった、淋しさや不安を消し去るのには不十分だったのだ。
そんなある時。彼が煙草に火を点ける姿に、安堵し眺めている自身に加織は気がついた。
――あと、煙草1本分は一緒に居られるのだと。