僕が君の愛
気がつけば。加織も彼と一緒に、タバコへ手をのばしてしまっていた。自分も、煙草に火を付ければ、少しでも長く一緒に居られるのではないか……と。煙草の香りを漂わせれば、彼が傍に居るような気すらしていて。そんな思いからだった。
浅はかな考えだったかもしれない。現に今では、後悔している。
結局は。その後も、ふたりの間に生まれた歪みを修復できることはなく。破局を迎えてしまった。だからなのだろうか。加織は紫煙を見る度、思い出してしまう。最初の彼を。
まるで彼の忘れ物を、大事に大事に。加織と言う宝箱にしまっているかの様に。
「彼を思い出しているのかい?」
ニンニクとベーコンの香ばしい匂いをさせ、加織の前に魚介のペペロンチーノと羊のカルパッチョが置かれた。不要となった火のついた煙草を、灰皿で揉み消す。加織は口紅で彩られた唇で弧を描き、妖艶な笑みを肇に向ける。
「肇さんが言っている『彼』は、どの彼かしら」
「おや、紫煙を見て思い出すのはひとりだろう?最近遊んでいる男のことを、加織さんが思い出すわけはないだろうに」
「随分な言われようですが、否定出来ないのが悔しいです」
瞬きする度に。空気をきる音が聞こえてきそうなメイクによって、大きさを増した眸。それを細め、加織はフォークを手に取った。
シガーバーは葉巻を楽しむための設備が整えられた店のことである。葉巻の場合、種類によって差異はあるが、1本を吸い終わるまである程度の時間を要する。約1時間くらいか。
加織がシガーバーを訪れる時は決まって1人だった。来店する時間こそ、前後することはあってもだ。それは、多くの友人が禁煙をはじめたから……と言う理由だけではない。
カウンター席の一番奥――加織の指定席――に腰掛け、葉巻をふかす約1時間。カウンター越しに交わす肇とのやりとり。その時間が何よりも楽しく、心の安らぎでもあったからだ。話題は様々で。時には葉巻の知識であったり、友人のことであったり……仕事の愚痴や今の彼氏や別れた男の話すら話題にあがる。流石は接客店を営むオーナーとでも言うのだろうか。肇の巧みな話術と柔らかい雰囲気は、人の心を穏やかにした。加織も自然に、自身のことを語っていたのだ。
故に。加織が紫煙を見ると思い出してしまうことも、肇は知っている。