花京院家の愛玩人形
知識はあっても経験値があまりに乏しい紫信の想像よりも、今回の台風は凄まじかった。
大粒の雨は容赦なく頬を打ち、軽い痛みを感じるほど。
渦巻く風はレインコートどころか身体までも巻き上げ、どこか遠くへ連れていってしまいそう。
景色だって、いつもとは全然違う。
道端の空き缶は、所々で飛び跳ねながら転がり続けている。
立ち並ぶ街路樹たちは、皆同じ方向に頭を傾げて枝を揺らし続けている。
片付け忘れられた軒下のシーツも。
人気のない公園のブランコも。
街中の全てが、気紛れな風の指揮で踊っているようだ。
これが自然の脅威。
感動にも似た思いを胸に、紫信は生まれて初めて知る人智の及ばぬ力を、華奢な全身で受け止めていた。
でもね?
ドキドキフワフワばっかしてて、目的を忘れてるワケじゃないからね?
図書館は着実に近づいている。
飛来する危険物がなさそうな道を選んで遠回りしてしまったが、買い物に行かなかったぶんの余裕があるので、いつもとさほど変わらない時間に到着できるはず。
一歩ずつ。
慎重に。
ほら、この角を曲がれば…
「え…」
図書館の外壁に沿って右折すればもう入り口、という住宅街の細い十字路に差し掛かったトコロで、紫信は短い声を上げて足を止めた。
左折側の路地に立つ電柱の陰に、男が潜んでいたから。
ゆっくりと姿を現した男に右手には、包丁が握られていたから。