花京院家の愛玩人形
腕に軽い衝撃。
水音と、か細い悲鳴。
ビクっと過剰に反応した男が足を止めて振り返ると、衝動的な逃走の勢いで容赦なく衝突された紫信が、濡れた地面に倒れていた。
その、豪雨に打たれて項垂れる、可憐な花の如き儚い姿よ。
男は思わず手を差し伸べ…
気づいた。
咄嗟に出してしまったのが、包丁を握りしめる手ではないことを。
今の今まで手折ろうとしていたその花を、助けるための手だということを。
そんな揺れる心を見抜かれてしまったのか、冷えきった花の手が、差し伸べた手にそっと重なる。
それから、レインコートのフードが脱げて雨の雫が滑る白い頬に微笑みを浮かべ…
「ありがとうございます」
…健気すぎてツラい。
紫信の言葉を聞いて今にも泣きだしそうに顔を歪めた男は、小さな水飛沫を上げてその場に跪いた。
深く頭を垂れ。
紫信の白い手の甲を自らの額に押し当て。
男は悲痛に囁く。
「許してください…どうか…
俺は、あなたを…」
「ソコの角、曲がったトコロ!」
さっき聞いた狂った絶叫とは打って変わった理知的で柔らかな男の声は、さっきと全く同じテンションで放たれたユイの怒声に遮られた。
ハっと血相を変えて立ち上がった男が、身を翻して逃げていく。
最後に一度、ほんの一瞬だけ、ナニカ言いたげな視線を紫信に投げかけて。