憑代の柩
霊――
自分以外に生きている人間の気配のしないアパートの一室。
ふいに、犬の遠吠えが聞こえてくる。
夜になると、いつも聞こえてくるのだが、この近所の何処に居るのか未だにわからない。
唐突に、遠吠えがやんだ。
なんとなく、呼吸を止めて、身構える。
空気が張りつめた気がしたからだ。
アパートの外の廊下を歩く音が聞こえた。
やけに響く。
明日、持っていく予定のポーチを手に、洗面所に立っていた。
洗面所は部屋の中程にあり、廊下とは離れた位置にあるのに、何故、こんなに聞こえるのだろうと思った。
ゆっくりと、踏みしめて歩くような特徴的な足音。
ポーチから取り出しかけていた小瓶を強く握り締め、息をひそめ、じっとしていた。
案の定、この部屋の前で、ピタリとその足音が止まる。
そのまま、動かない。
まるで我慢比べのように、自分もまた、動かないでいた。
そのとき、階段を上がって来る軽快な足音が聞こえてきた。
ビニール袋のカサカサと揺れる音。
< 1 / 383 >