憑代の柩
 鼻唄まじりのように感じるその足音は、さっさと部屋の前を通り過ぎ、二、三個先のドアを開けた。

 大きな音を立てて、その部屋のドアが閉まると同時に駆け出す。

 チェーンを外すのももどかしく、ドアを開けた。

 まだ少し冷たく感じる夜風が一気に顔に吹きつけてきた。

 ガランとした深夜の廊下。

 誰も居ない。

 いや、居ないことはわかっていた。

 此処で止まった足音が何処かへ行く気配はなかったのに、先程通り抜けた住人は挨拶することもなく、この狭い廊下で避けることもなく、乱れなく歩いていった。

 だから、此処に誰も居ないことはわかっていた――

 錆びた手すりの向こうを見る。

 住宅が多いので、この時間には、あまり灯りがない。

 視線をゆっくりと下げると、それが目に入った。

 セメントの床に、ぽつり、ぽつりと落ちている水の跡。

 セメントに落ちた水跡は濃く、グレーになっていたが、切れかけて瞬く蛍光灯の下では、まるで血の痕のように見えた。

 小瓶を握り締めたまま、何処からも続かず、ただそこだけに落ちている水跡を、いつまでも見つめていた。
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