追いかけっこが、終わるまで。
びっくりして、ただこの展開にびっくりして、思考が追いつかないまま、車がマンションの前に着いた。

助手席のドアが開いて、先輩が差し出してくれた左手に、右手を乗せて車から降りる。

ぼんやりした頭のまま一緒にエレベーターに乗って、階数表示を見上げる。

先輩、実家暮らしじゃないんだ。都内に通えない距離じゃないのに。そういう私も一人暮らしだけど。



ランプが止まるとドアが開いて、そっと手を引かれたまま歩いていき鉄製の白い玄関ドアの前に着いた。

先輩は黙ったまま鍵を開けて、私を先に中に入れると、自分も入って後手にドアを閉めて鍵をかけた。



「大丈夫?」

玄関のライトをつけたあと、久しぶりに先輩が口を開いた。

声が出なくて、下を向いて頷くと、つないだままの右手を引かれてキッチンの奥のドアを通り過ぎる。



電気をつけないままのその部屋の窓の外は、一面の夜空だった。無言のまま、サッシの窓を開けて、小さなベランダに連れて行かれる。

星のない、都会の空。

でも、何にもなくて、暗くて明るい広い夜空だ。



ベランダの柵に両手をかけて、首を上げて夜空を見上げる私を覗き込んで、先輩はいたずらが成功した子供みたいに満足げに笑った。

「明るすぎるけどさ、広くていいでしょ」

「はい」

私たちの地元の。電線で狭められた、あの夜空のことを言ってるんだなと思った。

どこまでも低く広がる郊外の街で、先輩も息を潜めて暮らしていたことがあったのかなと、ぼんやり考える。

私みたいに。



隣に立つ先輩を、見上げた。

今初めて、この人に近づいた気がする。


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