イジワル上司に焦らされてます
「そもそも、絶対的に良くないものを、お前に吸わせたくないしなぁ」
また、赤信号。こんなにも、赤信号に捕まるのを恨む日が来るなんて。
品の良い革製のシートに背を預け、独り言のように吐かれた言葉はどこか自分に言い聞かせるようでもあり、それでいて何かを諦めたような言い方だった。
だけど私はその言葉に、今更ながら、とんでもない事実に気付かされてしまう。
……ねぇ、私って、この7年、不破さんが煙草を吸っているところって何回見たことがある?
慌てて記憶の糸を手繰り寄せても、思い出せる限り、片手で足りる程度だ。
それはつまり、今の不破さんの言葉と私の記憶を照らし合わせると、不破さんは意図的に私の前では煙草を吸わずにいたということだろう。
" 灯台下暗し " とは、まさにこのことだ。
あまりに身近なこと過ぎて、全然気付けなかった。
「だから、俺はお前に煙草の臭い付けんのも、煙を吸わせんのも嫌なんだよ」
……ねぇ、どうして? なんで、そんな風に、まるで私を大切にしてくれるようなこと。
困惑する思考。ただ、それでも私の記憶にはハッキリと不破さんの纏う苦い煙草の薫りが染み付いている。
その薫りが鼻をかすめるたびに、それがどこであろうと、私は不破さんを当たり前のように思い出すのだ。
まるで、不破さんが自分の側にいるのは当然のことのように、いないはずの不破さんの姿を探してしまう。