イジワル上司に焦らされてます
「す、すみません……ありがとうございます……」
「いえ、日下部さんに怪我がなくて良かったです」
慌てて離れてから乱れた髪を耳に掛ければ、そんな私を見て辰野さんが柔らかに微笑んだ。
ふわりと鼻を掠めた香りは辰野さんらしく爽やかなのに、なんとなく違和感を覚えてしまう自分がいる。
「……今日は、本当にありがとうございました。それではまた、ご連絡させて頂きます」
「はい、いつでもお待ちしています。」
改めて、もう一度頭を下げてから顔を上げた。
絡まる視線。柔らかな眼差しに違和感を打ち消してから再度踵を返せば─── 今度は思いもよらない人物を視界に捉えて、思わず身体が固まった。
「……あ、不破さん。偶然ですね」
……不破さん。
視線の先には黒い細身のスラックスのポケットへと片手を入れ、いつからそこにいたのか、訝しげに目を細めてこちらを見る不破さんがいた。
どこか、疲れと苛立ちの色を混ぜたような空気を醸し出している彼。
少し離れていても感じ取ることのできる不穏さに、胸が早鐘を打つように高鳴りだす。
「もしかして、不破さんも僕たちと同じように外で打ち合わせでしたか」
けれど、そんな不破さんの様子にも気付いていないのか、明るく声をかける辰野さん。
やり取りに内心でハラハラしてしまうけど、辰野さんは普段通りなのだから何を言えるわけもない。