エリート上司と偽りの恋
電車に乗るたびに、俺はその出来事を思い出していた。

大袈裟かもしれないが、俺の未来を救ってくれた彼女にもっとちゃんとお礼を言えばよかった。

だけどもう会うことはないんだろうな。


通勤や営業先に向かうときなどこの電車には数えきれないほど乗っているが、十月になってもやはり彼女に会うことはなかった。


あれから電車で立っているときは、見栄えは悪いが鞄は両足に挟み、両手でつり革を掴むようにしている。軽くトラウマだな。


ふと窓の外を見ると、日が落ち初めていた。

今から会社に帰ったとして、残業は決定か……。


そんなことを考えていると、斜め前に座っている人がなんとなく気になった。
本で隠れていて顔は見えないけど、肩くらいの長さの黒髪は似ているような気がする。

予感がしたわけでもピンときたわけでもない。俺にはそんな能力はないけれど……。


本を読んでいるというより、顔を隠すために本を開いているようにも見える。

そしてその彼女が本を少しずらしたとき、隠れていた彼女の顔が見えた。

その目からは、涙がこぼれ落ちている。


俺の心臓がドキドキと早まっていくのを感じた。

胸がグッと締め付けられるような初めての感覚。


俺の未来を救ってくれたあのときの彼女が、泣いている……。


電車が駅で止まると、彼女はうつむきながら立ち上がり電車を降りた。


ハッと我に返った俺は、無意識に電車を降りてしまった。もちろん本来俺が降りる駅ではない。

これじゃまるでストーカーだ。

だけど、足が勝手に彼女の後を追ってしまう。


この気持ちはなんなのか、どうしてこんなにも彼女の泣き顔が頭から離れないんだ。

俺を助けてくれたから?もしくは違うなにかなのか……。


駅を出ると、理性が働いた俺はそこで足を止めた。

大通りを挟んで反対側に渡った彼女は、そこにある喫茶店へと入っていった。

この前も同じ駅で降りて行った彼女。あの喫茶店が気に入っているのか、それとも……。



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