ボレロ 第二部 -新世界ー
幕開け
夜会
ホールへ足を踏み入れ、まばゆい輝きに目を細めた。
冬の夜会にふさわしく煌びやかに彩られ、ゲストを迎える準備が整っている。
去年の今頃は何をしていただろうと考える。
腕組みをして一点を見つめ去年の記憶を探っていると、心配そうな珠貴の声が届いた。
「難しい顔をしてどうしたの、気になることでも? 照明が明るすぎるかしら」
「照明? このままでいいよ……珠貴」
「はい?」
「去年の今頃、なにをしていたか、覚えてるか」
「えぇ 覚えてるわ。『シャンタン』 で深夜のパーティーよ。朝までみなさんとご一緒したでしょう 」
「そうだった。あれから1年か、早かったな」
「本当に……」
「浜尾君がやめたのもその頃か」
「えぇ……真琴さんのお仕事、順調ですって。櫻井さんが嬉しそうにおっしゃるの。
今年こうして、みなさんをお招きすることになるなんて、思わなかったわね」
珠貴の視線の先をたどると、浜尾君と櫻井君、大叔母の家に長く仕える執事の佐山さんが、
テーブルを囲んで最後の打ち合わせの最中だった。
今日の夜会は私たちの主催だが、櫻井君と浜尾君に企画段階から加わってもらった。
夜会そのものは近衛の家の者の手によって行われるが、すべてを担うのではなく運営の一部は外部に依頼した。
依頼先は、櫻井君と浜尾君が立ち上げた会社だ。
「無駄を省きつつ、体面を保つ道を模索することこそ、得策だと思います」
年に何度もない大掛かりな催しのために、屋敷にスタッフを常駐させるのは無駄であると言うのが浜尾君の意見だった。
広大な屋敷や大勢の使用人を抱えることが、ステイタスシンボルであった時代は過ぎた。
景気の低迷が叫ばれて久しい、時代に合ったやり方が必要だと思う。
長きにわたり近衛家に従事してきた、浜尾家の一員である彼女の言葉には説得力がある。
曽祖父の前の代までは 『家令』 と呼ばれる者が存在し、それは浜尾家の者が務めてきた。
『家令』 は、家屋敷の管理・会計全般を担い、使用人の管理を行う立場にある。
それまで男性がその任に就いていたが、曽祖父の代から女性に代わった。
「家のすべてと奥向きを束ねるのは女が良い」 との号令で、それ以来女性が務めている。
現在 『家令』 の制度はなくなったが、一般的に執事と呼ばれる立場にあるのが、近衛本家では浜尾真琴の母親であり、この大叔母の家では佐山さんだ。
無駄を省くことは得策ではあるが、対面を保つと言う面においては、必ずしもそうとは言えない。
贅を尽くすことも時には必要、何もかもが節約では 「それこそ景気は上向きませんよ」 という大叔母の考えも一理ある。
屋敷を引き継ぎ主となった私と、以前の主である大叔母の間にたった珠貴は、双方の考えをうまく融合させ、 良い関係を保つよう動いてくれている。
「今夜の会を、みんな楽しみにしてくれているようだ」
「大叔母さま 『12月の会』 の復活をとても喜んでいらっしゃるの。これから、恒例になるといいけれど」
「大叔母さまは、そのつもりらしい」
「昔は、それは大掛かりな夜会だったそうね。宗は覚えているの?」
「子どもは出席できなかった。家で留守番だった」
「そうでした。だから、お子さんも参加できるものにしましょうと、決めたのよね」
「みんな喜んでくれるといいな」
「そうね」
珠貴と結婚して半年が経つ。
私たちの環境は大きく変化していた。
新婚旅行から帰った私たちを待っていたのは、大叔母の屋敷への引越しだった。
礼次郎大叔父が所有していた屋敷は広大なもので、大叔父が亡くなった後は妻である大叔母が使用人とともに住んでいたが、その家屋敷を私たちに譲りたいと言われていた。
家探しの最中でもあり、大叔母の提案は非常にありがたいものだったが、大叔母もともに屋敷で暮らすことが条件だと伝えた。
家屋敷を譲ったあと、一人暮らしをするつもりでいた大叔母を説得したのは珠貴だった。
「わからないことばかりです。大叔母さま、私の力になっていただけませんか」
「私でも、まだ、お役に立てることがあるのね……嬉しいわ、そうさせていただきます」
屋敷の主の座は私たちの代に移ったが、実質、家の中を取り仕切る役目は大叔母である。
仕事を持つ珠貴が、家の中まで目配りするには無理がある。
ましてや屋敷に勤める者のほとんどは、大叔母が屋敷の主の頃から仕えているのだから、家の管理等においても長けていた。
「みなさんのお力を借りながら少しずつ覚えていくわ。それまで大叔母さまに甘えることにしたの」
住みはじめた頃は気負いもあり、かなり緊張していた珠貴だったが、頼ることで互いの関係をうまく保っていく方がよいと気がついた。
いまは良い具合に力が抜け、落ち着いた暮らしぶりになってきた。
彼女のそんなところも私には新鮮で、結婚で発見した新たな魅力でもある。
私たちの新婚生活は、こうして順調に始まった。
大叔父が存命の頃 『12月の会』 と呼ばれた夜会が行われていたと聞いたのは、ある日の夕食の席のことだった。
大叔父が亡くなったのは10数年前、大叔父が体調を崩した2・3年前から 『12月の会』 は開かれず、かれこれ20年近く行われていないと聞いた。
屋敷には当時を知る者も多く残っている。
大叔母が持ち出した 『12月の会』 の話題に、ダイニングにいた家の者たちも目を輝かせていた。
日本の景気も順調で、すべてが華やかな時代でもあり、贅を尽くしたパーティーが方々で行われていたが、 近衛家の 『12月の会』 には、そうそうたる顔ぶれが招かれ、優美に着飾った人々が大勢集まるパーティーとして知られていたそうだ。
会がはじまった頃は毎月催されていたが、ほとんどは 『お茶会』 程度の小規模のもので、冬に行われる 『12月の会』 と、夏の盛りの 『8月の会』 は大勢の招待客を迎える大規模なものだった。
それが冬の会だけになり、会の名称だけが残った。
大叔母から語られる華やかな時代の出来事を、珠貴は熱心に聞いていた。
「気楽に集まる会もよろしいけれど、あらたまった装いで背筋を伸ばしてお会いするのも、それはそれで緊張感があっていいものだわ。
親しい方をお招きしたら楽しいでしょうね」
「珠貴さんのおっしゃる通りよ。あらたまる場は必要だと思いますもの」
「堅苦しくはありませんか?」
女性二人の会話に、男として感じた疑問を投げた。
好んで正装するなど、そこに楽しみを見出せないと思ったのだ。
「その堅苦しさがよろしいの。背筋がピンと伸びて、なんとも清清しい気持ちになるんですもの。
宗さんと珠貴さんが、燕尾服とイブニングドレスで並んで立つ姿を想像しただけで、もう気持ちが弾んでくるわ」
「また燕尾服ですか。タキシードなら我慢できますが」
結婚式で散々着替えさせられ、正装は当分勘弁して欲しいというのが正直なところだ。
そういうつもりで 「タキシードなら」 と言ったのだが……
輝きを増した目で、珠貴が私を覗き込んだ。
「いいの?」
「うん?」
「『12月の会』 を再開できたらと思ったの。大叔母さま、いかがでしょう」
「私は賛成ですよ。みなさん、お力を貸していただけるかしら」
ダイニングにいた誰もが 「はい、大奥さま」 と嬉しそうにうなずいた。
ダイニング奥に控えていた佐山さんは、その場で手帳を取り出し日程の調整に入った。
「タキシードなら……」 の私の一言は、すべて承知したと受け取られたらしい。
その夜のデザートにマロンクリームが添えられていた記憶があるので、秋の頃の出来事だと思われる。
2ヶ月もの準備期間を経て、今夜 『12月の会』 が再開される。
客の到着を告げる声が玄関から聞こえてきた。
気の早い客は誰だろう。
珠貴とともに玄関へと向かった。