ボレロ 第二部 -新世界ー
幼い子どもの声が聞こえてきた。
気の早い客は、あの二組だろうと珠貴と話していると、予想通り、知弘さんと静夏、狩野と佐保さんが着いたところで、子どもはそれぞれの父親の腕に抱かれていた。
「お招きありがとう。僕も静夏も楽しみにしていたよ」
「今日が楽しみで待ち遠しかったわ。珠貴さん、準備、大変でしたでしょう。
冬真も一緒なんて嬉しいわ」
「静夏、俺に挨拶はないのか」
「これは失礼いたしました。お兄さま、ごきげんよう」
「なにが、ごきげんようだ。昨日も会ったじゃないか」
この家が気に入っている静夏は、私たちが越してからと言うもの、月に数回は顔を見せている。
大叔母はもちろん、一時スイスで生活をともにした佐山さんも静夏の訪れを心待ちにしていた。
「静夏ちゃんにかかると、無敵の近衛宗一郎も形無しだな」
「誰が無敵だ。日々、見えない相手に苦労してるよ」
「宗一郎さん、珠貴さん、お招きありがとうございます。今夜が楽しみで、早くお邪魔してしまいました」
二人目の子どもを妊娠中の佐保さんは、娘が幼いこともあり外出もままならないのだと言う。
喜んでいただけて良かったわと、珠貴も嬉しそうだ。
ベビーシッターと保育士の資格を持つスタッフの派遣を思いついたのは珠貴だった。
子どもが近くにいれば招待客も安心だろうということで、屋敷内に臨時の保育ルームを設けた。
招待状の返事に、保育ルームを希望する客が予想以上に多かったことから、珠貴の提案は成功したといえるだろう。
知弘さんと狩野の腕からおりた子どもたちは、物珍しいのかホールを見上げて歓声を上げている。
子どもへ目を向けながら男たちは立ち話をし、子どもの世話から開放された女たちはおしゃべりに忙しい。
「ベビーシッターや保育士も 櫻井君の会社のスタッフだってね 彼らはどこまで手広くやってるんだ」
「おかげで、我々は恩恵を受けている。互いのビジネスチャンスを生かせる場があるのは喜ばしいね。
招待状の効力は素晴らしいものだよ」
「知弘さん、おっしゃる通りです。近衛家とつながりがあればことがスムーズに進む。
伝統と信頼は一朝一夕に得られるものではない。
けれど、近衛家と親しくしているとあれば、伝統は無理としても信頼と信用を得ることは可能だ。
ウチの社長が快く許可したわけだ」
「狩野、許可がどうしたって?」
「クリスマスシーズンのこの忙しいときに、親父が俺の休暇を認めたってことさ。
近衛家の 『12月の会』 に呼ばれたと話したら、ぜひ行って来いと言われた。
俺たちの世代にはピンとこないが、親次世代にとって、近衛家の夜会は特別なものらしい」
「特別か……そんな頃もあっただろうが、今はたいしたことはない」
「いや、かなりのものだよ」
「知弘さんにも特別ですか」
「僕は身内になったから、特にそう感じるのかもしれない。
近衛宗一郎が主催するパーティーというだけで世間は注目する。
誰が招かれたのか、客のリストアップは何を基準にしたのかなど、みんな興味津々だよ」
「まさか。礼次郎大叔父の頃はそうだったかもしれない。
けれど、今回の招待客は俺たちの友人知人がほとんどです。
基準なんてものはない。俺の名前で招待状を送ったが、事実上の主催者は、大叔母と珠貴ですからね」
『12月の会』 を復活させると決まってから、大叔母は生き生きと準備にいそしんでいた。
珠貴も仕事の合間に準備を進め、忙しいと言いながら楽しそうだった。
私はというと、意見を聞かれれば考えを述べるが、そのほとんどは大叔母や珠貴の意見に添ったものだった。
もっともパーティーの準備は女性が行うものだと思っていたから、任せておけば問題はないと思っていた。
「だから、そこだよ。近衛礼次郎氏の未亡人が関わっている、それだけで話題性は充分だ」
「親父もそう言ってました。近衛礼次郎さんは、先々代の片腕と呼ばれたそうですね。
表に立つ兄を影で支えたのが礼次郎氏で、月々の会は、いわば情報交換の場であり、取引の場だったとか」
「おいおい、今夜の会はそんな仰々しいものじゃない。集まって楽しく過ごすために開いたんだ」
「わかってるさ、わかっているが、世間はそうは見ていない」
「狩野君の言うとおりだね」
女性三人はおしゃべりに夢中で、たえず笑い声が聞こえている。
走り回っていた子どもたちが父親たちのそばにきて、抱っこをせがみはじめた。
「そろそろ飽きてきたようだ。僕は子どもたちを預けてくるよ。冬真、あまねちゃん、おいで」
狩野の長女、天音ちゃんと冬真を連れて奥へ行く知弘さんの背中を見送りながら、いまの会話を振り返り考えた。
大叔父の頃行われていた 『12月の会』 には、それほどの影響力があったのかと……
それを引き継いだことの重大さを、ここにきて思い知らされた。
「怖気づいたか」
「あぁ、ある意味な」
「そう気負うな、世間が勝手に評価しているだけだ」
「ふぅ……今頃気がついた自分が情けないね。
珠貴は夜会の意味をわかっていたからこそ、あんなに一生懸命だったのか」
「それだけじゃないだろう。女性はパーティーが大好きだ。
佐保も招待状が届いてからというもの、そわそわしていたよ。
ときに、平岡の家のことを聞いたか?」
「あぁ、蒔絵さん、つわりがひどかったそうだな。今夜は出席できるそうだが」
秋に入った頃、正式な退職届けを持参した平岡が、実は……と、ハネムーンベビーだったと蒔絵さんの妊娠を照れながら教えてくれた。