星月夜
昔もこういうことが何度もあった。桜の花や梅雨の曇り空。秋のヒコーキ雲や冬の雪を見ながら、私達は足を止め同じ景色を眺めた。
「景色そのものも綺麗だけど、一緒に見る人がいるからより美しく見えるのかもしれないな。こういうのって」
まただ。昔には聞かなかった秀星の言葉。もしかしたら彼自身も変化してるのだろうか?
「さ、次は月海の番」
「ええっ。弾かなきゃダメ?」
「聴きたい。俺のためだけに弾いてよ」
ズルい。そんな頼み方されたら、嫌でも断れない。
「ホント練習中だから、どっかでミスタッチするよ。まだ完璧に弾けたことないし……」
「それでもいいよ。分からないなら教えるから」
「期待してる」
一応暗譜したけど、念のため楽譜を見ながら弾くことにした。少しでもいい演奏ができるように。
さっきまで秀星が触っていたピアノに向き合い、鍵盤に触れる。
バッハの『メヌエット ト短調』。優しくて切ない感じがするという点は秀星の弾いた『ヴォカリーズ』と同じだけど、この曲は2分もかからず弾けるとても短いものだ。
本当はもっと長くて感情を揺さぶるような激しい曲が弾きたいのに、こういうゆったりした曲ばかり弾くよう先生から指示される。昔はそれがひどく不満だったっけ……。
だけど今は、この上なく幸せだと思った。
指はもつれることなく動いた。大人になった私は何年もピアノから離れていたのでここまで弾けなかっただろうけど、過去に戻って大人の記憶があるとはいえ演奏能力は過去のまま維持されているっぽい。タイムスリップ、実に便利だ。