永すぎた春に終止符を
今日から他人です

 陽が傾きかけていた。暖房を切った部屋は、しんと静まりかえってる。
壁に向けられた白熱灯の明かりが、間接的に部屋を照らしている。梨沙は拓海の腕の中でうずくまってじっとしていた。
 彼が息を吐きだすたびに、梨沙の髪に彼の息がかかる。彼は軽くキスをして梨沙の頭を引き寄せる。梨沙は、半分目をつむりながら彼の腕の中でまどろんでいた。
 拓海と付き合いだしてからもうずいぶんになる。付き合いが長くなると、お互いに本当にしたいことだけで、余計なことはしなくなる。
 梨沙は、たまの休みの日くらい、外に出かけて行って恋人らしいことをしたいと思っていた。拓海と出かけても、買い物をして真っすぐ家に帰るだけ。カフェに寄るのがせいぜいで、恋人らしいことをするってことがほとんどなくなった。部屋の中で食事をて、お互いのどちらかの部屋でゆっくり過ごす。週末はいつも同じだった。
 彼の望むことは、お腹が満たされることと、ベッドで梨沙を抱くことだけで、他のことはどうでもいいみたいに思える。

 「先のことって?」拓海が枕に突っ伏して言う。昨日のお酒が抜けてないのだろう。拓海は彼女を抱いたまま答える。彼が息を吸う度に大きな背中が盛り上がるのを梨沙は感じた。先のことというのは、私たちの将来のこと。結婚とか……。
 梨沙は、彼がゆっくり息を吸い込むのを見守っていた。それなのに、返って来た答えは、気の抜けた炭酸水のようにぬるくて間が抜けていた。
 下を向いていているから、拓海の表情は見えない。梨沙は、そのまま彼の言葉を待った。
 その時まで梨沙は、どうにかなると楽観的に考えていた。拓海はきっと梨沙のことも考えてくれているはず、悪いようにはしない。
 とはいっても、少々不安もあった。拓海はまるでそういう話をしない。本当のところ、気持ち的には、半分半分だけど。でも悲観はしてない。梨沙はそう思っていた。

 もともと言葉で説明するのが苦手な彼のことだから、結婚話がすんなりいく訳ない。まあ、出だしはこんなもんだろうと、予想していた。
 拓海とは学生時代からずと付き合ってるのだから。なにせ、付き合ってもう七年。長すぎるというほど交際期間を経て来た。いくら何でも、まったく先のこと考えてないって事ないよね。梨沙は思った。
「んん……急に聞かれても、困ったな」拓海は梨沙の質問に困惑してる。
 梨沙は、むくっと起き上がって拓海に言う。
「まさか、なにも考えてないって事ないよね?」
梨沙は、拓海と体を重ねた後、打ち明けようと思っていた。ベッドの上で、話した方が気持ちが伝わると梨沙は信じていたから。

「本当に考えてないの?」梨沙はわざと冗談めいて言った。
「急だったからな。いきなり質問されても、答えに困るよ」拓海は不機嫌を隠さない。
「そっか。急だったね。そうだよね」彼女は、彼に微笑みかけた。
 言いたいのは山ほどあるし、愚痴を言いたいのもやまやまだけど、ここで一方的に、彼に不満をぶつけたって、事態は良くならない。彼女は、拓海の腕から逃れて、仰向けになって真上を見つめた。
 梨沙は、落ち着くために呼吸を整えた。淡い光が天井を照らし、昼間良く見えるときには、シミだらけの天井を隠している。淡い光がすべてを隠して、真っ新な天井のように見えてしまう。
 梨沙は、起き上がってベッドの下を見た。冷たいフローリングの床に、梨沙の白いセーターが無造作に脱ぎ捨てられている。梨沙はゆっくり起き上がると、床に散らばった服を拾い集めた。
「少し待って。よく考えるから」背中の方から、拓海の声が聞こえてくる。梨沙が起き上がる気配を感じたのか、少し慌てて言う。

「うん」梨沙はセーターを指でつまみながら答えた。
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