永すぎた春に終止符を
拓海が体を起こして、梨沙の頬にキスをしてきた。
「のどが渇いたな。梨沙、何飲む?」本当に喉が渇いてるだけなのね?梨沙は皮肉っぽく言いたくなるのをこらえた。
 話しかけてきた彼に、梨沙は、もう一度彼に微笑むと「ありがとう、大丈夫だから」と断った。起き上がろうとした彼に、
「ごめん、明日早いんだ。だから、そろそろ帰るね」と梨沙は付け加えた。
「ん、もう帰るのか?」
「うん」拓海はいつものように、梨沙の体を引き寄せた。
 こんなふうに、抱きしめてくれる腕も、視線が絡み合ったときに笑いかけるために、無意識にゆるむ口元も、梨沙がずっと親しんできたものだ。その行為の一つ一つが、彼の梨沙に対する愛情から来る優しさだと思ってた。
 彼のしぐさも行為も、全部意味のあることだと思ってきた。それが、そう思えなくなった。さっきの彼の突き放すような答えを聞いてしまうと、今まで心を温かくしてくれてた彼の行為も、どうしても薄っぺらな習慣の名残に思えてしまう。

「明かりつけておこうか?」梨沙はそう尋ねると、床に散らばっていたセーターを頭からかぶった。もっと彼との時間を過ごすべきなのかもしれない。砂時計から滑り落ちるように、気持ちがさらさらと落ちていく。この部屋も、よく見ておいた方がいいのかも知れない。小さな明かりだけの部屋。子供っぽい大学生の部屋のまま時間が止まったような部屋。

「このままでいいよ。それより、梨沙。本当にもう帰るのか?」
「うん。明日早いから、今日は泊らないで帰るね」
「そっか」拓海の横顔がほっとしたように見えた。梨沙はそれを見て、やっぱり今日はこのまま帰ろうと思った。
「拓海も、論文仕上げなきゃいけないんでしょう?だから、私、帰えるよ」
「別に邪魔っていうわけじゃない」
「うん。わかってる」邪魔じゃないけど、居て欲しくないってとこでしょう?
「送っていくよ」
「一人で帰れるって。大丈夫だから」梨沙は、彼の腕を振りほどいた。
できれば、もう一度言い直しできたらなと梨沙は思った。

梨沙は思ったより、彼の言葉に動揺していた。これ以上一緒にいるといくら、人の気持ちに疎い拓海でも何かあったと気付いてしまう。触れられると、すぐに動揺してるのが分かってしまう。
「何かまずいこと言ったか、俺?」心配そうに尋ねる彼。
「ううん。何もないよ」
「ああ、そっか。よかった。俺……また何か不味いこと言ったのかと思って焦ったよ」彼に向かって微笑んで見せたけど。気分は深く沈んだまま、浮上しそうにない。
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