空って、こんなに青かったんだ。
第一章
 「カッキィーン!」                                   
それはまるで青空に大きくかかった七色の虹のように、なんとも理想的な弧を描いて夏空のかなたへと飛んで行った。

そして灼熱の太陽に照らされたかと思うと、
ほんの一瞬、夜空を切り裂く稲妻のように閃光を放ち、やがてぶ厚い入道雲の中に消えてしまった。

飛んでいったのは、本人?の意思にまるで関せず、いやいや、蹴り飛ばされたのはみじめにも道ばたに捨て去られていた清涼飲料水の空き缶である。

その空き缶に見事なペナルティキックを加え大気中という見えないゴール目がけて放物線を描かせたのは、ほかならぬこの男、龍ケ崎勇士である。

彼がその空き缶にケリの一撃をくわえた時のその音は、金属バットが真芯でボールを捉えたときの、あの気分爽快ともいえる会心の一発の音とそっくりであった。

彼の氏姓は「りゅうがさき」名は「勇士」と書いて「ゆうじ」と読む。文字通り勇ましい名だ。

まあ実際に、諸々の面で勇ましいことは確かなのだが・・・・

かと言ってこの男、決してサッカー部員ではないのだ。
すでに学校の制服に着替えているのでひとめではわかりずらいのだが、れっきとした野球部員である。

そしていちめん田んぼの中の、まるでそこだけ無理やりにでもアスファルトで舗装されて、
そう、飛行機の離着陸でもできそうな壮大ともいえる一本道を、黒の大きな野球バッグを背負いながら勇士といっしょにだらだらと歩いているのが、平山健大、刀根護、久保田圭介、金子啓太の四人である。

勇士と他の四人、総勢五人はよくもここまで怠惰に、だらしなく、かつやる気のかけらも無いような歩き方が出来るな、というくらい全員が砂漠で疲れ果てて息も絶え絶えのラクダのように、燦燦と降り注ぐ真夏の太陽の下を足を引きずりながら亀のような遅々とした速度で歩を進めていた。             

「なあ啓太、あとどのくらいだったけ~」

しゃべるのも命懸けなのか、というくらい元気のない声で勇士が啓太に訊く。

「はあ?あと十分くらいじゃね?」

「ざけんなよ・・・・。じゃね?ってお前んちだろうがよ・・・・」

啓太があまりにものんきに、かつ無責任に答えるので、すかさず健大からジャブを飛ばしていきなりのストレートが入った。

ちなみに「健大」と書いて「たけひろ」と読むのだ。

「ビールくらい冷えてんだろうな?」

勇士がホントに今にも死にそうに訊いた。

「馬鹿か?お前は。そんなもん、あるわけないだろ?」

今度は啓太が呆れ果ててものも言えない、とでも言いたげに勇士に向かって答えるのだ。

どこからかまだ七月だというのに、蝉の大合唱が耳に痛いくらいのボリュームで聞こえてくる。

きっと向うに見える林の方からに違いない。いったいあの林の中には何匹くらいの蝉がスシヅメ状態で声をからすように鳴いているのだろうか?

まあそんなことは今の五人にはとんと関わりも興味もないことなのであろうが。

青々と茂った田んぼからはむせ返るような熱気と湿気が立ち込めてきて、五人を襲っている。

関東地方の内陸部の夏は、今や熱帯地方と何ら変わらない。まさに殺人的な暑さなのだ。

その猛烈な暑さの中、一同の体力もそろそろ限界に近づいているようだった。

「だれか、おんぶしてくれよ~」

勇士がだれにともなく言うのだが、結局誰にも相手にされない。

もう五人にはそんなヒマも体力も、そして友情のかけらも残ってはいなかったようだ。


「シカトかい?」
勇士がポツリと、しかしさして恨みがましいというふうでもなく言う。

そんな時、首に巻いていたタオルを左手から右手に持ち替えて、元気なくグルグルと廻しながら圭介が言った。

「オレは卵入りのリポビタンでいいや」

一瞬のうちに空気が南極化する。

圭介が何かしゃべるといつも瞬時にサムクなるのだ。

それは毎度のこと、そして誰からともなく発する言葉が圭介にオソイカカルのだ。

「お前、それいったいいつの話題だよ?」

「大丈夫か?」

圭介のテンネンは今に始まったことではナイ。しかしさすがに疲労困憊の極致での起死回生の一発に、野球部の豪傑たちもいきなりのマワシゲリを後頭部に食らったくらいの衝撃だったようだ。

そしてしばらくの沈黙のあと、誰かが言った。

「あれ、あんまり美味くないよな・・・・」

でも、もうだれもその話題には触れようとはしなかった。

一同にとってもトドメの一発だったようだ。

まさに九回、もともと十対0で負けている試合でさらにダメダメ押しの満塁ホームランを浴びたピッチャーのような気分だ。

もう無意識に、ただ足だけを前に動かす、それだけで精一杯の野球少年たちだったのだ。


 大きなケヤキの木の向こうに、やっと啓太の家が見えてきた。

「金子自動車」と黒く書かれた看板と共に、古風でまるで武家屋敷のような門構えの立派な和風の二階屋である。

啓太の父親は車の販売と修理工場を経営していて、今日は啓太の部屋で反省会の名を借りた打ち上げ兼グチのいい合い会が催されるわけである。

それじゃあいったいナンのハンセイなのかと言えば、今日は高校球児ならばだれもが夢見る夏の甲子園出場をかけた県大会の三回戦があったわけで、そして五人の所属する英誠学園野球部は見事にその夢を強豪校に打ち砕かれ、五人は水気を失ったカエルのように無残にも炎天下を歩いて球場を後にして来たわけであった。

しかし捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、敗北後の簡単なミーティングが終わって各自このあとどうしたものかとうずくまっていた時、啓太の父親から啓太の携帯にメールが入ってきた。

「どうせクスブッテンナラろくなことになりゃシナイ。今日は家で飯でも食え、みんなも呼んで来い」

といつもどおりの絵文字なし無愛想とぶっきら棒なメールであった。

が、さして家にも帰りたくなく、このイライラをどこにぶつけようかと爆発寸前であった面々には、最高のオヨバレであった。

勇士や健大などいつものメンツに声をかけて、速攻、話はまとまったのだ。

ではなぜ啓太の家が毎回「反省会会場」に選ばれるのかというと、家と敷地が大きく母屋と啓太の部屋が離れていること、そして啓太の両親が小うるさい事をいちいち言わないホウニン主義、いやいや、子供の事情を理解したリッパなご両親だからである。

何しろ父親などは勇士が相当に荒れているときでも
「リュウ、ほどほどにしとけよ。ちゃんと自分の領分ってモンをわきまえてなきゃダメだぞ」

などと言って勇士の肩をたたいて
「いいか、酒とタバコはダメだぞ。そのかわりお前が卒業したらとことんヤラシテやる」

なんて言って何をヤラシテやるのかわからないのだけれど、そんな優しいひと声をツケタスのだ。

そんなとき啓太は自分の父親をどう評価して良いものやらわからなくなり頭がゴチャゴチャになってしまうのだ。

しかし、バーサス大人となれば誰彼かまわず反抗的な態度をとる勇士が、自分の父親には従順で素直に接しているのを見ると、社会の中では良い大人なのか?とも思ってしまう自分がいるのをまたまた嫌な目で見てしまうのだ。

 
 さっきまで随分と遠くに見えていたケヤキが、もうすぐ手の届きそうなところまでになった。

やっと着いたか。

家の門をくぐる時に啓太は
「俺はオヤジのことが好きなのか?それともキライなのか?」
とふと、考えてみたがやっぱりよくわからなかった。

まあいいか。

啓太は気を取り直して庭の中へと入って行った。

啓太ほか野球部員一同はまず全員で母屋に挨拶に行くと、父親は出かけていておらず母親が出てきて
「はあい、ご苦労さんだったねえ。おかえり~。冷たいもん、飲みなさ~い。で、順番にお風呂入ってぇ~、あとで部屋に食べるもの持って行くからぁ~」
と、いつも通りの呑気さと手際の良さで五人を迎えてくれるえわけだ。

何といってもついさっきまで球場で応援をしていたくせに、きちんと縁側には数種類のジュースとスポーツ飲料、そして烏龍茶に圭介御用達のリポビタンまで、すべて冷やされた状態で並んでいるのである。

「ありがとうございます!生き返る~~~」

五人は異口同音に唸るように声をしぼり出すと、冷えたビンやペットボトルを一気に喉に流し込んでまたたく間に用意された飲み物はあれよあれよという間に減っていき、そして我が家で遠慮のない啓太は冷えたスポーツドリンクをボトルごと頭からかぶってしまったのだった。

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