空って、こんなに青かったんだ。
あれからもう四日も経ったのか~早いな~。
金曜日の放課後、拓海はあきなと一緒にいつもの河原を歩いていた。秋も少しずつ深くなりつつある時期ではあったのだけれど、しかし太陽が西に傾くこの時間は強烈なだいだい色が眼に入って来る。
でも一方では吹く風からは湿り気がなくなり、あれだけうるさかった蝉の鳴き声もいつの間にか完全に消え失せて付近にはトンボが舞っている。
間違いなく秋がやって来ているのだ。
今週の月曜日の放課後、野球部員五人に入部を勧められた拓海はまだ返事をしていなかった。
あまりに熱心で誠意のこもった誘いだったのでにわかには断り辛く
「考えさせてほしい」
と答えた拓海ではあったが、正直に言うとそもそも野球をやる気はサラサラなかったのである。
なので毎日、教室で健大、圭介、星也たちと顔を合わせるのがなんとなくイヤだったし、校舎の廊下で啓太にデクワシタときはもっとバツが悪かった。
しかしじゃあさっさと断ればいいじゃん、なんでいまだに返事をしないの?って訊かれると人間の心情って不思議かつ不可解なもので、拓海の心の中で野球が完全に断ち切れないで存在しているのである。
このあたりのところが複雑でうまく言えないのではあるがようするに啓太の読み、が当っていて拓海は野球がキライになったわけではないのだ。
そんなこんなで拓海は未だに返事が出来ないでいたわけだ。
「これを逃せばもう二度と野球をやることはないんだろうな」っていうある意味、怖れ、のようなものが拓海の心に芽生えていたのも確かなことのようでもある。
「ねえ、ピノキオに行ってみない?」
とあきなが言った。あきなの横顔には巨大なオレンジがカブさっていた。
「うん」
ピノキオっていうのは駅前にある喫茶店であって、あきなはそこのパンケーキが大好きだったのだ。ふたりはそのまま駅前まで歩いて本屋でしばらく立ち読みをしたあと、ピノキオに入った。
月曜日、図書館で待っていたあきなに「野球部に誘われた」とただそれだけ言った拓海にあきなは「そう」とだけニッコリと微笑を湛えてこたえた。
細かいことは何にも訊かずに、入るのか入らないのかさえ訊かなかった。ただ、いつもよりもさらに笑顔が絶えなかったかな?って今の拓海は思ってる。きっと相当に気を遣ったんだろうな、あきなは。
その日、夕方わかれるとき、ひとことだけあきなは言った。
「拓海の好きでいいよ」って。
「ありがと」
拓海もひとことだけ返した。それが月曜日。
あきなはオーダーしたパンケーキが来ると早速、メープルシロップをかけた。そうとうにタップリと。彼女はこれが好きなんだ。拓海は今日はバナナパフェを頼んだ。
ここの店では初めてだ。オーダーしたらあきなにクスッと笑われた。確かに男の食べるべきものではないのかも知れないが。
あきなはホントにぺろっとパンケーキを平らげると
「そろそろ行かなくちゃ」
と言って拓海を見た。
今日は弟の誕生日で家でお祝いをするらしい。買い物を頼まれてタイムリミットが近づいて来たようだ。
「うん、そうだね」
と言ってふたりはお店を出た。そして駅までのわずかな距離を歩いて改札を入った。
あきなと拓海は反対方向の電車に乗るのだ。あきなはここから四つ目の駅、拓海は三つ目の駅で降りる。ホームは上りと下りでは別々でホームの真ん中あたりに渡り階段がある。
あきなは下り列車に乗るから階段を渡らなくてはならない。
時計を見た後に時刻表を見るとあきなの乗る列車が先に来るので拓海は一緒に階段を上って反対のホームまであきなと歩いて行った。
いつもあきなが先に乗るときにはこうするんだ。
「いいのに」
とあきなは言うがやはり拓海はこうする。
やっぱり当然のごとく時間通りに電車はやって来た。もちろん、同じ学校の生徒がほかにも何人もいた。あきなは電車に乗ると座席はいくらでも空いているのに座ることはせず扉の横に立つと
「あとでメールするね」
と言ってからやっぱりニコッと笑った。ホームにアナウンスが流れる。
扉が閉まるとわずかに間があってから電車は動き出した。あきなは扉にくっついてガラスに寄りかかって手を振った。
何かを言ってるようだけどもちろん拓海には聞こえない。口の動きは「バイバイ」って言ってるようにも見えた。
拓海は黙って見送るとだんだん電車は小さくなっていった。やがて大きく右にカーブすると電車は夕暮れの中に姿を消していってしまった。
すっかり陽が暮れそうだった。拓海はあきなを見送ったあと、ひとり階段を上って反対ホームに渡ると何本か電車を乗り過ごしてしばらく駅の椅子に座ってぼんやりとしていた。
その間、何人もの生徒が上り下りの電車に乗って帰宅していった。
その中には運動部の生徒も、文化部の生徒もたくさんいた。決して帰宅部だけではなかったのだ。
小一時間くらい、そこでボっ~としていたようだ、気がつくと夕陽は姿を消して街灯がつき始めていた。
次に来た電車に乗ると座るところがなくて、拓海は仕方なく扉付近にもたれかかった。三つ目の駅で降りると祖父母の家までは歩いて十五分くらいだ。
ブラブラ歩きながらふと寄り道してみよう、と拓海は思った。まっすぐに帰れば通ることのないちょっとした広場にだ。
地元の小学生の野球チームの練習場になっているそこに着くと、広場にはもう誰もいなかった。
バックネット付近の街灯には蛾が飛び集まっていて、近所の家からは笑い声が聞こえてきた。小さい頃、お盆や年末に帰省したときはよくここで父親と野球をした。
キャッチボール、ノック、そして自分が「打ちたい」というと父親は何時間もぶっ続けでボールを投げ続けてくれた。
夏なら汗だくで、冬なら途中からジャンパーを脱いで。
ここが自分の野球の原点だったんだ。拓海はネットに肘をかけながら遠い昔を思い出していた。
あの頃は仲の良い家族だと思っていたんだ。もう、十年も経つのか。月がぼんやりと見える。星はもう何個かが光っていた。
家族って何なんだ?離婚って何なんだよ?子供がいるなら離婚はダメだろ?子供がどうなってもいいのかよ?ふざけんなよ!何があってもガマンしろよ!
そう思うとやたらと頭に来た。その一方で自分だってあきなが初めての彼女じゃない、中学の時にも彼女はいた、だけど別れたんだ。それって?
あきなとだってこのまま結婚すると決まったわけじゃない。それって?
だけどそれとキチンと結婚して子供まで出来て別れるのとは話?がちがうって。
そうでしょ?
帰りの早いスーツを着たサラリーマン?らしき人がこっちをチラッと見た。アヤシイのかな?オレ。あ~あ、もう何が何だかわかんね~よ、ふざけんなよ!
オヤジは可愛がってくれてたよな、オレのこと。小さい頃を思い出しながら拓海はそう思った。それはわかってる。でも、そんなことじゃないんだよ、オレが言いたいのは。
じゃ、なんなんだよ、言いたいことって、わかんね~よ。
近くから笑い声はまだ聞こえてくる。もう晩御飯の時間なんだな。そろそろ帰えんないとジーちゃんとばーちゃん、きっと心配するな。年寄りに心配をかけちゃ、いけないな。
もう、ここからはもう五分くらいだ、家まで。そう思った拓海はすっかり暗くなった道を広場を後にして歩き始めた。
あ~あ、オレってなんなんだろ?バカなのかな?空を見上げるともうどうでも良くなった。
バカでもなんでも。
そして「あいつら」の顔が夜空に浮かんだ。
健大、勇士、啓太、圭介、星也。
あいつら、このオレを誘おうなんて、バカなんじゃないの?オレ、筋金入りのイイカゲン野郎だよ。だからオヤジが手を焼いてたんだから。拓海はそんなことを考えながら心に決めた。
「明日、あいつらに会いに行くか!オレと同じくらいバカっぽいあいつらに!」
最後の曲がり角を左に折れると家の明かりが消えた。やっと着いたか。
拓海は玄関のドアを開けるといつもよりも大きいかな?って思うほどの声で言った。
「ただいま!」
金曜日の放課後、拓海はあきなと一緒にいつもの河原を歩いていた。秋も少しずつ深くなりつつある時期ではあったのだけれど、しかし太陽が西に傾くこの時間は強烈なだいだい色が眼に入って来る。
でも一方では吹く風からは湿り気がなくなり、あれだけうるさかった蝉の鳴き声もいつの間にか完全に消え失せて付近にはトンボが舞っている。
間違いなく秋がやって来ているのだ。
今週の月曜日の放課後、野球部員五人に入部を勧められた拓海はまだ返事をしていなかった。
あまりに熱心で誠意のこもった誘いだったのでにわかには断り辛く
「考えさせてほしい」
と答えた拓海ではあったが、正直に言うとそもそも野球をやる気はサラサラなかったのである。
なので毎日、教室で健大、圭介、星也たちと顔を合わせるのがなんとなくイヤだったし、校舎の廊下で啓太にデクワシタときはもっとバツが悪かった。
しかしじゃあさっさと断ればいいじゃん、なんでいまだに返事をしないの?って訊かれると人間の心情って不思議かつ不可解なもので、拓海の心の中で野球が完全に断ち切れないで存在しているのである。
このあたりのところが複雑でうまく言えないのではあるがようするに啓太の読み、が当っていて拓海は野球がキライになったわけではないのだ。
そんなこんなで拓海は未だに返事が出来ないでいたわけだ。
「これを逃せばもう二度と野球をやることはないんだろうな」っていうある意味、怖れ、のようなものが拓海の心に芽生えていたのも確かなことのようでもある。
「ねえ、ピノキオに行ってみない?」
とあきなが言った。あきなの横顔には巨大なオレンジがカブさっていた。
「うん」
ピノキオっていうのは駅前にある喫茶店であって、あきなはそこのパンケーキが大好きだったのだ。ふたりはそのまま駅前まで歩いて本屋でしばらく立ち読みをしたあと、ピノキオに入った。
月曜日、図書館で待っていたあきなに「野球部に誘われた」とただそれだけ言った拓海にあきなは「そう」とだけニッコリと微笑を湛えてこたえた。
細かいことは何にも訊かずに、入るのか入らないのかさえ訊かなかった。ただ、いつもよりもさらに笑顔が絶えなかったかな?って今の拓海は思ってる。きっと相当に気を遣ったんだろうな、あきなは。
その日、夕方わかれるとき、ひとことだけあきなは言った。
「拓海の好きでいいよ」って。
「ありがと」
拓海もひとことだけ返した。それが月曜日。
あきなはオーダーしたパンケーキが来ると早速、メープルシロップをかけた。そうとうにタップリと。彼女はこれが好きなんだ。拓海は今日はバナナパフェを頼んだ。
ここの店では初めてだ。オーダーしたらあきなにクスッと笑われた。確かに男の食べるべきものではないのかも知れないが。
あきなはホントにぺろっとパンケーキを平らげると
「そろそろ行かなくちゃ」
と言って拓海を見た。
今日は弟の誕生日で家でお祝いをするらしい。買い物を頼まれてタイムリミットが近づいて来たようだ。
「うん、そうだね」
と言ってふたりはお店を出た。そして駅までのわずかな距離を歩いて改札を入った。
あきなと拓海は反対方向の電車に乗るのだ。あきなはここから四つ目の駅、拓海は三つ目の駅で降りる。ホームは上りと下りでは別々でホームの真ん中あたりに渡り階段がある。
あきなは下り列車に乗るから階段を渡らなくてはならない。
時計を見た後に時刻表を見るとあきなの乗る列車が先に来るので拓海は一緒に階段を上って反対のホームまであきなと歩いて行った。
いつもあきなが先に乗るときにはこうするんだ。
「いいのに」
とあきなは言うがやはり拓海はこうする。
やっぱり当然のごとく時間通りに電車はやって来た。もちろん、同じ学校の生徒がほかにも何人もいた。あきなは電車に乗ると座席はいくらでも空いているのに座ることはせず扉の横に立つと
「あとでメールするね」
と言ってからやっぱりニコッと笑った。ホームにアナウンスが流れる。
扉が閉まるとわずかに間があってから電車は動き出した。あきなは扉にくっついてガラスに寄りかかって手を振った。
何かを言ってるようだけどもちろん拓海には聞こえない。口の動きは「バイバイ」って言ってるようにも見えた。
拓海は黙って見送るとだんだん電車は小さくなっていった。やがて大きく右にカーブすると電車は夕暮れの中に姿を消していってしまった。
すっかり陽が暮れそうだった。拓海はあきなを見送ったあと、ひとり階段を上って反対ホームに渡ると何本か電車を乗り過ごしてしばらく駅の椅子に座ってぼんやりとしていた。
その間、何人もの生徒が上り下りの電車に乗って帰宅していった。
その中には運動部の生徒も、文化部の生徒もたくさんいた。決して帰宅部だけではなかったのだ。
小一時間くらい、そこでボっ~としていたようだ、気がつくと夕陽は姿を消して街灯がつき始めていた。
次に来た電車に乗ると座るところがなくて、拓海は仕方なく扉付近にもたれかかった。三つ目の駅で降りると祖父母の家までは歩いて十五分くらいだ。
ブラブラ歩きながらふと寄り道してみよう、と拓海は思った。まっすぐに帰れば通ることのないちょっとした広場にだ。
地元の小学生の野球チームの練習場になっているそこに着くと、広場にはもう誰もいなかった。
バックネット付近の街灯には蛾が飛び集まっていて、近所の家からは笑い声が聞こえてきた。小さい頃、お盆や年末に帰省したときはよくここで父親と野球をした。
キャッチボール、ノック、そして自分が「打ちたい」というと父親は何時間もぶっ続けでボールを投げ続けてくれた。
夏なら汗だくで、冬なら途中からジャンパーを脱いで。
ここが自分の野球の原点だったんだ。拓海はネットに肘をかけながら遠い昔を思い出していた。
あの頃は仲の良い家族だと思っていたんだ。もう、十年も経つのか。月がぼんやりと見える。星はもう何個かが光っていた。
家族って何なんだ?離婚って何なんだよ?子供がいるなら離婚はダメだろ?子供がどうなってもいいのかよ?ふざけんなよ!何があってもガマンしろよ!
そう思うとやたらと頭に来た。その一方で自分だってあきなが初めての彼女じゃない、中学の時にも彼女はいた、だけど別れたんだ。それって?
あきなとだってこのまま結婚すると決まったわけじゃない。それって?
だけどそれとキチンと結婚して子供まで出来て別れるのとは話?がちがうって。
そうでしょ?
帰りの早いスーツを着たサラリーマン?らしき人がこっちをチラッと見た。アヤシイのかな?オレ。あ~あ、もう何が何だかわかんね~よ、ふざけんなよ!
オヤジは可愛がってくれてたよな、オレのこと。小さい頃を思い出しながら拓海はそう思った。それはわかってる。でも、そんなことじゃないんだよ、オレが言いたいのは。
じゃ、なんなんだよ、言いたいことって、わかんね~よ。
近くから笑い声はまだ聞こえてくる。もう晩御飯の時間なんだな。そろそろ帰えんないとジーちゃんとばーちゃん、きっと心配するな。年寄りに心配をかけちゃ、いけないな。
もう、ここからはもう五分くらいだ、家まで。そう思った拓海はすっかり暗くなった道を広場を後にして歩き始めた。
あ~あ、オレってなんなんだろ?バカなのかな?空を見上げるともうどうでも良くなった。
バカでもなんでも。
そして「あいつら」の顔が夜空に浮かんだ。
健大、勇士、啓太、圭介、星也。
あいつら、このオレを誘おうなんて、バカなんじゃないの?オレ、筋金入りのイイカゲン野郎だよ。だからオヤジが手を焼いてたんだから。拓海はそんなことを考えながら心に決めた。
「明日、あいつらに会いに行くか!オレと同じくらいバカっぽいあいつらに!」
最後の曲がり角を左に折れると家の明かりが消えた。やっと着いたか。
拓海は玄関のドアを開けるといつもよりも大きいかな?って思うほどの声で言った。
「ただいま!」