空って、こんなに青かったんだ。
時はちょっとさかのぼって五回の裏が終了し、折り返しのグラウンド整備が行われているときの英誠学園ベンチのこと。
ブチョウ先生からの指示はただひとつ、だった。
「もうオマエタチハ知ってるよな。野球には波、がある。良い波のまま試合を制すことも、悪いまま終わってしまうことも、まずない。
必ず波はあっちに行ったりこっちに行ったり。今は間違いなく向こうにある。波が来るのをじっと待つんだ。必ず来る。辛抱だ。
アワテルナ、慌てふためくな、そうすればオマエタチガ勝つ!これはキマッテルことなんだ!」
ブチョウ先生はそれだけ言うとあとは
「ゆっくり休め、いいか、水分、トットケヨ!」
そう言って自分はさっさと持参した特製のかき氷をバッグから取り出して頬張り始めた。
「先生、その美味しそうなの、自分のだけですか?」
勇士が真っ先に食い下がったけど
「ソウダよ!それがナニか?」
と切って返され、あげくに
「オマエもそろそろ打てよ!」
「エッ?」
「ナニ?」
「今、打ちましたよ!」
「だって、アウトじゃないか?ホームで」
「アウトって、それ、オレですか?刺された護が悪いんじゃ?」
「いや、刺されないように打たなかったオマエのせいだ」
そこまで言われるとなんだかそんな気がしてきたのか、勇士は
「オレかな?ワルイの?」
とまったく自信を失ったようにそばにいた健大に訊く。
「だろ~な」
健大はそれだけ言うと手洗いタイムを取りに消えてしまった。仕方なく勇士はヤスに一縷の望みを託した。
「なあ、今の、聞いてた?」
「ああ。オマエだろセキニン。もっと弱い当たりにするか、肩の弱い外野手を狙って打つんだよ」
そういってヤスは今までの相手バッテリーの攻め方の傾向と球数、取られるべき今後の対策をブチョウ先生に話しに行ってしまった。
ベンチ内にミカタ、を失ってしまった勇士は何のすべもなく、ベンチに腰掛けて頭からタオルを被った。
「オレは、コドクダ~」
しかし変わり身は速く、気を取り直したのかとなりに座ってグラウンドキーパーたちの動きを見るでもなく眺めていた拓海に話しかけた。
「カントクサンが今日の朝、急にブチョウ先生が指揮を執る、って言った意味って、ナンなんだろうな?」
実は拓海もそのことは気になっていたのだ。というより試合前に啓太がみんなに言ったことがさらに気になっていた。
「きっと、試合中に感じなければ意味のないこと、なんじゃないかな?」
たしかに、啓太の言う通りに間違いが無いように思えたのだ、拓海には。
そうでなければ
「ただ単に動揺させるだけ、じゃないか。当日の朝、ナンて」
でもまだ拓海にも、そしてほかの誰にもまだ答えは出ていなかった。
ヒント、さえ何もなかったのだ。
「もしかすると負けるかもしれないから最後にブチョウ先生にハナヲもたした?とかじゃね~の?」
勇士はそんなことをつぶやいたけど拓海はチガウ、って思ってた。
カントクサンは「そんなひと」じゃない、もちろん優しい人、だけど大事な勝負の真っ最中にハナヲもたすとかモタサナイとか。
そんなことはしない人、だ。ナラ何で?
まあ、勇士も本気で言ったわけじゃないだろうけど、さっきのコト、は。
※
今、カントクサンは思っていた。五回の裏が終わって球場ではグラウンド整備が行われている最中だ。自分が手塩にかけたかわいい英誠学園野球部は打線に決定打が出ずに、二点をリードされている。劣勢だ。
しかも今のところ打つ手なし、の雲行きだ。
試合前に撒いたタップリの水はとうに乾ききってしまって、ダイヤモンドは土埃でいっぱいだ。だから今、もういちど撒き直しているところだ。
懐かしいなあ~高校野球。自分だってここにいたのだ、もう何十年も前のことだけれど。
強豪校から誘われて甲子園に出た、そのあとやはり強豪大学からのスカウトで入学、
なのにいつの間にか目標を失ってしまった。
ノンプロに進んで都市対抗にも出場した。そして二年後、プロから誘いを受けて大して考えもせずに入団した。
なのにちっともうれしくなかった。なんだ?どうした?なぜだ?よくわからなかった。
燃え尽き症候群か?いやいや、それほどやっちゃ~いない。じゃ~なんでだ?
自分でも答えが見つからずにずいぶんな年月が経ってしまった。
もう、イイ親父だ。
そんな時、コイツラが来た。
杉山の親父に「英誠の監督をやんないか?」って言われてなんのこっちゃ、と思ったけどコイツラ、甲子園に行きたい、って真剣に俺に言った。
大して綺麗でもないプレハブの待合室でヤケニかしこまって座っていやがった。
たしか、五人だったな。金子に平山、龍ヶ崎と久保田。そしてあとから聞いたんだが、入部したての稲森。
ホンキ、だったな、連中はミンナ。目を見てすぐにわかったよ。
そしてみんな、真っすぐで澄んだきれいな目をしてた~
あんまりにそれがまぶしすぎて正視できなかったくらいだったよ、オレは。
汚いものを見すぎてきたオレにはダケド。
あの時、自分の人生のみすぼらしさを見透かされるんじゃないかって、内心、ドキドキしてたんだ。
だから、奴らを真っすぐに見られなかった。
言ってやったよ、逆になめられちゃいけなってハク、つけるために。
「行きたいなら、行くことを目標にしてたらダメだ。そこで勝つことを目標にしろ!」
って。
甲子園に出たけりゃ、甲子園で優勝することを目標にしなきゃ、ダメなんだってね。
何でかって?得られる結果は必ず目標よりも小さくなるのだから。
オレの練習はきつかったはずだよ。手抜きシナカッタカラね。なに?体力的にじゃないよ。
もちろん夏の甲子園で戦うんだから体力も重視した練習はしたよ。
でもそれ以上に考える、ってこと、大切なのは。
求めるものをまず、明確にする。そしたら次にそれを得るために必要なもの、足りないものは何かを考える。そしてそのふたつを手にするにはどうすべきかを考え実行する。
人生はこれの繰り返しだ。
単純なんだ。でもそれに気がついたのは四十を過ぎてからだ。そして基本。だからあいつらにも考えさせた。
なぜなのか?どうしてなのか?すべてに意味を見出してやる奴とそうでない奴は同じことをやっても自ずと結果はチガウ。
初めてコッソリと練習を見に行ったときに思ったよ。なんだ、別にふつうにやれば甲子園、行けるじゃん、って。
まあ、昨夏は稲森がまだいなかったらしいけど、そのことを差し引いてもツブが揃ってたよ。
だから今日も、負ける気は全然しない。
勝つってワカッテル。あいつらが負けるわけ、ナイ、断言するよ。
そうそう、決勝戦の今日になってブチョウ先生に采配をお願いした理由?選手たちも気になってるみたいだけどそんなに難しいことじゃない。カンタン。
「もう、甲子園にソナエテ」
ってこと。それだけ。
オレはあいつらを甲子園にツレテク、って決めてたしそれだけのこと、やってきたしあいつらもツイテきてくれた。だから負けるなんて毛頭思ってないし負けるわけない。
アイツらは絶対にマケナイ。
でも、決勝ってそんなにカンタンじゃない。ムズカシイんだ。自分も経験ある。
あとひとつが大変なんだ、ナニゴトモ。
だから今日だって苦戦するだろうし、もしかしたら途中であいつら
「負けるかもしれない」
っていう「恐怖」に襲われるかもしれない。
でもそんな時こそ思い出してほしいし考えてほしい、オレがブチョウ先生に監督を
頼んだ理由を。
「負けるわけないからすでに甲子園の予行に入ってる、ってこと。絶対に負けるわけないって信じてる、ってこと」
どんな時でも地に足を付けて動じないこと。
「風林火山」の中でオレがいちばん好きなのは「動かざること山の如」だ。
だからブチョウ先生に采配をお願いしたんだ。
だってあの人は肝が据わってる。
ここからじゃ見えないが、きっとベンチでデンと座ってることだろう。
だいいち、もう試合が始まっちまったんだから、今さらジタバタしても始まらんし、何もできないよ。
だったら座ってりゃいい。下手に動いたって選手があたふたするだけだ。
さあ~残り四回、どう始末をつけてくれるのか、実に楽しみだよ、オシエゴタチ!
ブチョウ先生からの指示はただひとつ、だった。
「もうオマエタチハ知ってるよな。野球には波、がある。良い波のまま試合を制すことも、悪いまま終わってしまうことも、まずない。
必ず波はあっちに行ったりこっちに行ったり。今は間違いなく向こうにある。波が来るのをじっと待つんだ。必ず来る。辛抱だ。
アワテルナ、慌てふためくな、そうすればオマエタチガ勝つ!これはキマッテルことなんだ!」
ブチョウ先生はそれだけ言うとあとは
「ゆっくり休め、いいか、水分、トットケヨ!」
そう言って自分はさっさと持参した特製のかき氷をバッグから取り出して頬張り始めた。
「先生、その美味しそうなの、自分のだけですか?」
勇士が真っ先に食い下がったけど
「ソウダよ!それがナニか?」
と切って返され、あげくに
「オマエもそろそろ打てよ!」
「エッ?」
「ナニ?」
「今、打ちましたよ!」
「だって、アウトじゃないか?ホームで」
「アウトって、それ、オレですか?刺された護が悪いんじゃ?」
「いや、刺されないように打たなかったオマエのせいだ」
そこまで言われるとなんだかそんな気がしてきたのか、勇士は
「オレかな?ワルイの?」
とまったく自信を失ったようにそばにいた健大に訊く。
「だろ~な」
健大はそれだけ言うと手洗いタイムを取りに消えてしまった。仕方なく勇士はヤスに一縷の望みを託した。
「なあ、今の、聞いてた?」
「ああ。オマエだろセキニン。もっと弱い当たりにするか、肩の弱い外野手を狙って打つんだよ」
そういってヤスは今までの相手バッテリーの攻め方の傾向と球数、取られるべき今後の対策をブチョウ先生に話しに行ってしまった。
ベンチ内にミカタ、を失ってしまった勇士は何のすべもなく、ベンチに腰掛けて頭からタオルを被った。
「オレは、コドクダ~」
しかし変わり身は速く、気を取り直したのかとなりに座ってグラウンドキーパーたちの動きを見るでもなく眺めていた拓海に話しかけた。
「カントクサンが今日の朝、急にブチョウ先生が指揮を執る、って言った意味って、ナンなんだろうな?」
実は拓海もそのことは気になっていたのだ。というより試合前に啓太がみんなに言ったことがさらに気になっていた。
「きっと、試合中に感じなければ意味のないこと、なんじゃないかな?」
たしかに、啓太の言う通りに間違いが無いように思えたのだ、拓海には。
そうでなければ
「ただ単に動揺させるだけ、じゃないか。当日の朝、ナンて」
でもまだ拓海にも、そしてほかの誰にもまだ答えは出ていなかった。
ヒント、さえ何もなかったのだ。
「もしかすると負けるかもしれないから最後にブチョウ先生にハナヲもたした?とかじゃね~の?」
勇士はそんなことをつぶやいたけど拓海はチガウ、って思ってた。
カントクサンは「そんなひと」じゃない、もちろん優しい人、だけど大事な勝負の真っ最中にハナヲもたすとかモタサナイとか。
そんなことはしない人、だ。ナラ何で?
まあ、勇士も本気で言ったわけじゃないだろうけど、さっきのコト、は。
※
今、カントクサンは思っていた。五回の裏が終わって球場ではグラウンド整備が行われている最中だ。自分が手塩にかけたかわいい英誠学園野球部は打線に決定打が出ずに、二点をリードされている。劣勢だ。
しかも今のところ打つ手なし、の雲行きだ。
試合前に撒いたタップリの水はとうに乾ききってしまって、ダイヤモンドは土埃でいっぱいだ。だから今、もういちど撒き直しているところだ。
懐かしいなあ~高校野球。自分だってここにいたのだ、もう何十年も前のことだけれど。
強豪校から誘われて甲子園に出た、そのあとやはり強豪大学からのスカウトで入学、
なのにいつの間にか目標を失ってしまった。
ノンプロに進んで都市対抗にも出場した。そして二年後、プロから誘いを受けて大して考えもせずに入団した。
なのにちっともうれしくなかった。なんだ?どうした?なぜだ?よくわからなかった。
燃え尽き症候群か?いやいや、それほどやっちゃ~いない。じゃ~なんでだ?
自分でも答えが見つからずにずいぶんな年月が経ってしまった。
もう、イイ親父だ。
そんな時、コイツラが来た。
杉山の親父に「英誠の監督をやんないか?」って言われてなんのこっちゃ、と思ったけどコイツラ、甲子園に行きたい、って真剣に俺に言った。
大して綺麗でもないプレハブの待合室でヤケニかしこまって座っていやがった。
たしか、五人だったな。金子に平山、龍ヶ崎と久保田。そしてあとから聞いたんだが、入部したての稲森。
ホンキ、だったな、連中はミンナ。目を見てすぐにわかったよ。
そしてみんな、真っすぐで澄んだきれいな目をしてた~
あんまりにそれがまぶしすぎて正視できなかったくらいだったよ、オレは。
汚いものを見すぎてきたオレにはダケド。
あの時、自分の人生のみすぼらしさを見透かされるんじゃないかって、内心、ドキドキしてたんだ。
だから、奴らを真っすぐに見られなかった。
言ってやったよ、逆になめられちゃいけなってハク、つけるために。
「行きたいなら、行くことを目標にしてたらダメだ。そこで勝つことを目標にしろ!」
って。
甲子園に出たけりゃ、甲子園で優勝することを目標にしなきゃ、ダメなんだってね。
何でかって?得られる結果は必ず目標よりも小さくなるのだから。
オレの練習はきつかったはずだよ。手抜きシナカッタカラね。なに?体力的にじゃないよ。
もちろん夏の甲子園で戦うんだから体力も重視した練習はしたよ。
でもそれ以上に考える、ってこと、大切なのは。
求めるものをまず、明確にする。そしたら次にそれを得るために必要なもの、足りないものは何かを考える。そしてそのふたつを手にするにはどうすべきかを考え実行する。
人生はこれの繰り返しだ。
単純なんだ。でもそれに気がついたのは四十を過ぎてからだ。そして基本。だからあいつらにも考えさせた。
なぜなのか?どうしてなのか?すべてに意味を見出してやる奴とそうでない奴は同じことをやっても自ずと結果はチガウ。
初めてコッソリと練習を見に行ったときに思ったよ。なんだ、別にふつうにやれば甲子園、行けるじゃん、って。
まあ、昨夏は稲森がまだいなかったらしいけど、そのことを差し引いてもツブが揃ってたよ。
だから今日も、負ける気は全然しない。
勝つってワカッテル。あいつらが負けるわけ、ナイ、断言するよ。
そうそう、決勝戦の今日になってブチョウ先生に采配をお願いした理由?選手たちも気になってるみたいだけどそんなに難しいことじゃない。カンタン。
「もう、甲子園にソナエテ」
ってこと。それだけ。
オレはあいつらを甲子園にツレテク、って決めてたしそれだけのこと、やってきたしあいつらもツイテきてくれた。だから負けるなんて毛頭思ってないし負けるわけない。
アイツらは絶対にマケナイ。
でも、決勝ってそんなにカンタンじゃない。ムズカシイんだ。自分も経験ある。
あとひとつが大変なんだ、ナニゴトモ。
だから今日だって苦戦するだろうし、もしかしたら途中であいつら
「負けるかもしれない」
っていう「恐怖」に襲われるかもしれない。
でもそんな時こそ思い出してほしいし考えてほしい、オレがブチョウ先生に監督を
頼んだ理由を。
「負けるわけないからすでに甲子園の予行に入ってる、ってこと。絶対に負けるわけないって信じてる、ってこと」
どんな時でも地に足を付けて動じないこと。
「風林火山」の中でオレがいちばん好きなのは「動かざること山の如」だ。
だからブチョウ先生に采配をお願いしたんだ。
だってあの人は肝が据わってる。
ここからじゃ見えないが、きっとベンチでデンと座ってることだろう。
だいいち、もう試合が始まっちまったんだから、今さらジタバタしても始まらんし、何もできないよ。
だったら座ってりゃいい。下手に動いたって選手があたふたするだけだ。
さあ~残り四回、どう始末をつけてくれるのか、実に楽しみだよ、オシエゴタチ!