空って、こんなに青かったんだ。
 五回終了時点でいちどグラウンド整備が行われてかなりの水を撒いたのだが、それもほぼ瞬時に乾ききってしまってまたまたダイヤモンドは土埃が舞うようになってしまっていた。

それは時折、スタンドの応援団にも降りかかって特に女生徒たちを困らせた。いよいよ、試合も押し迫ってきて英誠学園は七回の表の攻撃に入るところだった。

ここまでヒットもそこそこに出てるしチャンスも掴みかけるのだけれど、なかなか得点に結びつかない。

これも甲子園への試練なのか?しかし悠長なことは言ってられない。もう七回、なのだから。このままじゃ、オワッテしまう・・・・

この回の先頭バッターは・・・・やはり巡りが悪い。拓海からだ。
だいたい四番バッターがその回の先頭じゃ、ダメなのだ、ヤキュウは・・・・

ランナーをためて拓海に回したいのだから。

そしてここまでの拓海は三回打席に入って三回ともフォアーボール。テッテイテキにマークされてる。

しかしそのことに気づいてる即席応援団が騒ごうとするのだがこれがなかなかそうさせない。相手投手のコントロールが良すぎるのだ。

つまり、コースギリギリをついて審判も悩むほどの「ボール」なのであからさまの敬遠じゃない。頭っから「逃げてんじゃ~ね~よ!」って言えないのだ。

カウントも必ずツーストライクまで持っていってる。こうなると「カンゼン犯罪」ともオモワレルわけだ。

そして当然のこと、この回も歩かされてノーアウト一塁、勇士が手堅く送って拓海はセカンドに進んだけど後続が三者凡退で無得点。いよいよヤバクなってきた?

そしてここからさらに悪いことがオ・キ・タ。
七回裏、作川学院の攻撃は九番から、星也は九番、そして続く一番バッターと切って取り難なくツーアウトをになった。

そこまでは良かったのだけれどそのあと二番打者にセンター前にはじき返され三番バッターにはレフト前に運ばれてツーアウトながら一塁二塁のピンチとなってしまったのだ。

そしてここでさらに悪いことが起こった。初回にソロホームランを浴びた相手の四番バッターが芯で捉えた痛烈な打球が運悪く星也の利き腕である左手を直撃してしまったのだ。

顔のあたりに打球が襲ってきたためとっさにグラブをはめていない方の左手が出てしまったのだ。

スタンドからは悲鳴に似た声が上がって場内はシ~ンと鎮まりかえってしまった。

「英誠学園の川津君、治療のためしばらくお待ちください」

アナウンスが流れて球場つきのドクターが呼ばれた。

ブチョウ先生はすぐに拓海をセンターから呼び寄せて念のためにブルペンに入れた。
すぐに肩を作るようにと。そして啓太がキャッチボールを初めて万が一に備えたのだ。

もちろんのこと、拓海も八回からはイク、とわかっているので五回終了から味方の攻撃中はブルペンに上がって少しずつ肩を作ってはいたのだが。

「う~ん、折れてはいない。ただ、ヒビの可能性はある。ちょっと投げてみて痛みがあればダメだ。もしヒビが入ってなくてもこれだけの腫れだ。痺れて投げられんかもしれないよ」

ドクターは優しく星也に説明してくれた。

「運よく単なる打撲なら、甲子園には間に合うよ。頑張りなさい。ここまでよく投げたね」

そういってドクターは大会役員に試し投球を認めるよう進言してくれた。星也は再びマウンドへと上がって数球、投げてみたのだけれどやはり痛みでどうにもならないらしいのだ。

マウンドに勇士を呼び寄せると
「ダメだ。このままじゃ打たれちまう」
と涙を流しながら伝えたのだった。

「悪い、代わってくれ」

勇士が近くで待機していた啓太に星也の言葉を伝えてそれを啓太がブチョウ先生に伝言した。

「稲森!イケ!」

ブチョウ先生はブルペンにいた拓海の名を呼んでマウンドに上がれ、と指さしたのだった。

そして啓太に選手交代のための指示を出して主審のもとに走らせた。

いよいよ拓海の登板だ!ちょっと予定よりもハヤカッタけど・・・・

「守ります英誠学園、選手の交代とシフトの変更をお知らせします~。

ピッチャーの~、川津君に代わりまして~カネコっくん~が入り~センター。

センターの稲森くんが~ピッチャー。

四番、ピッチャー、イナモリくッン。九番、センター~カネコっくん。

以上にカワリマス~」

スタンドからは一塁側からはもちろん、作川学院側の三塁側スタンドかろも大きな拍手が起こった。

それはここまで必死に投げ抜いた星也に対するねぎらいと、大事な決勝戦で負傷退場せざるを得ない無念に対しての同情かもしれなかった。

拓海はゆっくりとマウンドに向かった。何か全身に熱いものがこみ上げてくる気がした。

それは自分の右肩から当たってくる、強烈な陽射しのせいかも知れなかったけど、違う何かが、心の中から湧き出てくるような、そんな気もしたのだった。

星也はマウンドで溢れる涙を右袖で拭いながら拓海を待っていてくれた。

「悪い稲森、最後まで投げられなくて」

それだけ言うのが精一杯のようだった。

腫れあがった左手で持っていたボールを拓海のグラブに託すと泣き崩れる様にベンチへと下がって行った。

マウンドに集まった六人はそのさびしそうなうしろ姿を泣きたくなるような気持ちで見送った。

と、その時だった。一塁側の大応援団の中にいたひとりの少年が階段を一気に駆け下りて来たと思ったらネットにしがみついて大声で叫んだのだった。

「兄ちゃん!」

よく見るとその子は私服だ。ジーンズにTシャツ。

英誠学園の生徒はみな制服で応援、と決められてるから学園の生徒じゃない。

「郁海・・・・」

星也はうつむきながらダッグアウトに戻ろうとしていたので「兄ちゃん」と叫んだ声の方をあわてて見上げたのだった。そして声の主を見とめた。

それは星也の「血のつながらない弟」だったのだ。

「兄ちゃん」と叫んだその子は両手でネットをガしっと掴みながら
「兄ちゃん、ナイスピッチング!」
と声を絞り出すように言うと、その場に泣き崩れてしまった。

するとその様子の一部始終をしかと見ていた即席応援団から一斉に声が上がった。

「川津、ナイスピッチング~~~~~っ!」

そしてその大声はまたたく間に一塁側応援席に蔓延して拍手大喝采になってイッタ。

「痛いだろうな~」

亮太がつぶやく。

「ああ、心もな~」

祐弥が答えた。

主審が歩み寄ってきて試合続行を指示する。

「はい!わかりました!」

勇士はきりっと返事をすると
「さあ、キリカエ!」
と拓海の肩をたたいてミットを鳴らした。

「オレ、死んでも勝つぜ、この試合。ゼッタイにひっくり返してやる。あいつに、甲子園のマウンド、上がらせてヤル!」

そう言った健大の視線の先には、当然のようにダッグアウトに下がってこれから正規の治療を受ける星也の「1」があった。

「ダナ!」

「ああ~」

「ヨッシャ~!」

護、祐弥、亮太が合槌をうってきた。
そんなときだ、待ってました、とばかりに勇士が入り込んできた。

「デダナ~アレ、行くぞ!」

その顔は「時は今」とばかりにマサシクあの戦国武将、明智光秀のようにミエタ。

「アレか?」

「そうだ、あれだ」

「デ、何番だ?」

「いち、で行く」

「ワカッタ!」

そう言うと、全員が守備位置に一目散に戻って行った。

この手の「相談」は長々とやってたんじゃ~相手にウタガワレルしケイカイサレルだけ。
なにもイイことはナイ。

球審が勇士に
「八球でいいか?」
と聞いた。

高校野球の場合、試合時間短縮のためイニング間の投球練習は数球のみなのだが、アクシデントによる交代の場合はその限りではなくて多少の融通をきかせてくれるのだ。

「はい!」

勇士はマウンドの拓海に声を掛けた。

「八球な!」

内野陣もプレーがしばらく止まったのでボール回しを許されていたし、外野手もキャッチボールで肩を慣らしているところだった。

拓海は丁寧にマウンド付近を均すと投球練習に入った。

「そうか、いきなりココか~」

みんな、何食わぬ顔でボールを回している。よく見ると役者、だ。なんか笑いそうになる。

拓海は
「オレが顔に出してどうする」
と自分を戒めた。

「モッケイモッケイ」

もう、ここでの失点は「負け」を意味する。ワンヒット許せば五対〇だ。

「だから、ゼッタイニ決めなきゃ!」

いよいよ、八球の投球練習が終わった。再び、試合再開だ。

「バッターは、五番、レフト江川くん~」

アナウンスが入って主審が「プレイ!」をかけた。

拓海はゆっくりと軸足をプレートに置いて中腰となり、勇士のサインを注意深くうかがった。いやいや、正確には「うかがうフリをした」だ。

その時、スルスルっと三遊間を詰めていた祐弥がセカンドランナーの背後をついて
一気にセカンドベースに滑り込むように入って行った。

と同時に、勇士がサインを出す右手の指を隠していたミットで「バシッ」と自分の太ももを叩いた。

慌てた三塁コーチャーの叫び声が鳴り響いた。

「ハイッタ~~~!」

三塁コーチャーは右手で祐弥を指して後ろから回り込まれたことをセカンドランナーに必死で知らせようとした。しかし、勇士のミットの合図で素早く軸足をプレートから外した拓海は、流れるようなターンでセカンドベース方向に振り向きざま、小さなモーションからスナップスローで矢のような送球を祐弥に送った。

そのボールは見事にセカンドベースの三塁側の角に入った祐弥のグラブに収まり、そこに完全に逆を突かれたセカンドランナーをスパイクが入ってきた。

「アウト~~~っ!」

二塁塁審の手が大きく上がって、セカンドランナーの憤死を宣言した。

二塁ランナーは戻り切れなかったのだ。

これが新チーム結成以来、ずっと練習してきた「必殺のピックオフプレー」だった。

コブシを振り上げる拓海と勇士、そして飛び上がって喜びを表す祐弥。

護も亮太も拓海を抱きかかえに飛んできた。

「ヤッタ~!」

やっと意味が分かった一塁側スタンドはもうお祭り騒ぎだ。スリーアウトチェンジ!

いっぽう、やられたセカンドランナーはそこに呆然と立ち尽くし、一球も投げてもらえなかった五番打者はまだ、バッターボックスを外せずにそこに立ち尽くしていた。

三塁側の吹奏楽は意味を解さないのか、まだ少し音が残っている。

そう、ピックオフプレーは一瞬のことなので、よ~く見てないとワカラナイのだ。

絶体絶命のピンチを脱した拓海とナインは意気揚々とベンチに戻ってきた。

そう、それは外野手も一緒だった。彼らだって直接、練習には加わらなかったけど内野手たちの必死の練習はずっと見て来たし、それこそ血のにじむような努力をしていることは知っていたのだから。

そして当然のようにダッグアウトに入るとき、観客席に座るカントクサンとナイン全員の目が合った。

そこにはよくやった、というお褒めの表情と、まだ勝負はついてない、お前らはまだ負けてるんだ、気を引き締めなきゃダメだ、という愛の鞭、のようなものがあったのを全員がヒシヒシと感じていたのだ。

そう、相手は満塁、失敗すれば決定的な三塁ランナーの生還を許す場面で、しかもセットに入ってからじゃなくてサインを覗き込んでる体勢からのピックオフプレーは、まさに相手の裏の裏を突いた必殺技であったのだ。

ベンチに引き揚げてきた拓海たちを、治療を待ってもらって戦況を見つめていた星也が満面の笑みで出迎えた。

本当は相当に痛いはずの左手をかばおうともせずに満面の笑顔でガッツポーズを作った星也の頭を、勇士はポコポコと叩いてるのか撫でてるのかわからないような仕草で歓迎した。

「甲子園までには直せよ。オマエがエースなんだからな!」
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