空って、こんなに青かったんだ。
第十二章
 朝の七時に家を出た。これなら十分に間に合う、それどころか早すぎるくらいだ、午後一時の試合開始には。

子供が小学校の三年生で野球をはじめて以来、良い選手がいる、と聞けば必ず観に行った。強いチーム、ではなく良い選手、だ。それは投手、打者を問わない。

すごい奴、と聞けば行くのだ、見に。

つまり子供の応援、ではなくてすごい奴、を観たいのだ。だから行く。
よく何でもかんでも応援に行く親御さんがいるが、自分はチガウ、と思っていた。

だいいち、何でもかんでも観に行くのでは、そのうち子供だってアリガタミ、が無くなってしまうだろう。

それにこれ見よがしにチーム活動のお手伝いをすることも好まない。
いかにも「うちの子を使ってください」的でイヤ、なのだ。

だいいち、なんだってグラウンド整備を親が手伝ったりするのだ?小学生だって自分たちに教室は自分たちで掃除するデハないか、学校では。

なのに校外活動でアヤマッタ教育をして学校教育をないがしろにしては本末転倒だ。
まして野球少年は丈夫、なのだ。いちいち親が手伝うべきでもしゃしゃり出る幕、でもない。

まあ、変わり者、と言われれば否定はしない。甘んじて受けようではないか。

今日も実は、来ようか行くまいか、迷った、正直。しかし、来てしまった。

いちど、野球をやめた息子が、またやりだしたと両親から聞いたからだ。

もう、昨年の秋のことだ。何だってまたやりだしたんだ?いやいや、その前にこちとら、辞めた理由がワカラナイ。そもそも。なんだって期待させといてやめるんだ。

もともと頼んでやってもらった野球、でもない。自分で始めたのだ。
なのにヤメル?ワカラナイ。

きっと自分たちの離婚が原因なのだろう。タブン。
まあ、子供は親に反発するもんだ。女の子は母親に、そして男の子は父親に。

きっと異性ならいいのかも知れない、同性はダメなのだろう。よくワカンナイケド。

あいつの野球をやる姿を見るのは、本当に久しぶりだ。本人なりにいろいろとあったのだろう。オレだっていろいろあったから、それはワカル。

あっちにぶつかりこっちにぶつかり、傷だらけになったり傷つけたり。それが人生、だ。敵もいれば味方もいる。

ヤな奴もいるしいい奴、もいる。嘘つき、正直者、裏表のあるやつない奴、色々であって来た。金のあるやつない奴、これはあまりカンケイナイが。

あいつなりに誰かと、そして何かと出逢ったのだろう。だからまた、野球をやりだした。

きっとそうだ。でもその何か?と誰?はもしかすると自分でもまだわかってないのかもしれない。

でもいずれ、人生を生きていくうえで、わかる日が来るだろう。そのための若かりし日、青春だ。

オレは、青春、という言葉が好きだ。青臭いくていや、というメンメンも多いと聞くけど、全くそうは思わない。大好きな言葉だ。

青春。青い春。瑞々しい、なんて素敵な言葉、なんだろう。
いくつになっても青春だ、という人もいるが、自分はそうは思わない。

そんなこと言うヒトはきっと面白くもおかしくもない、ずいぶんとツマラナくて爺クサイ青春時代を過ごした人にチガイナイ。

メいっぱいにアバレタ青年期を送った輩はゼッタイにそんなことはイワナイはずだから。

青春はあくまで十代、せいぜい二十代の前半でなければならない。いつまでも青春じゃアリガタミも感動もない。

馬鹿をやる、互いにバカ野郎ってこずける頭があるうちが青春なんだ。
いい年して、バカ野郎、なんてやれないでしょ、シツレイデ。

酸いも甘いも知った人間はもう「青春」じゃないんだよ。

今、あいつは間違いなく青春の真っただ中にいる。もう戻らないんだよ、この時とこの季節には、ゼッタイニ。そんなこと、年月を経た人間にしかわからないし、言えない。

ゼッタイニ戻れないんだよ、取り戻すことなんてアリエナイ。

だからこそ、後悔するな!負けてもいい、だけど後悔するやり方と行動だけはやめろ。
思いっ切り投げて打つんだ。当てに行くな、置きに行くな。

それだけだよ、言いたいのは。シッカリヤレ!拓海!


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