空って、こんなに青かったんだ。
「ここで打たなきゃ、男じゃないってかな?」

拓海はネクストでそんな気持ちになっていた。冷静に戦況から判断して、この回無得点なら正直、負けだろう。そんな気がした。

あと一イニングで甲子園、とでもなれば相手投手も最後とばかりに疲れなど吹き飛ばしてラストスパートがかかるはずだから。

そう思うと、なぜだか逆に落ち着いて来た。
スーッと何かが落ちていく、邪念や気負いや、何かそんなものが体から抜けていくのを拓海は感じていた。

そしてなんだかカントクサンがブチョウ先生に采配を託したワケも理解できたように思えた。

「負けるわけない、勝つって信じてるんだな、キット」

バッターボックスに向かう途中、なぜだか
「オヤジはきっと見てる。必ずこの球場のどこかで」

そんな気がした。そしてまた無心、になった。

「ヨバン、ピッチャ~~イナモリっくん!」

アナウンスがなんか霧の中から聞こえてきたような、妙な感覚だ。ボックスに入って、
一応ブチョウ先生を見た。もちろんもう何もないことはワカッテいたのだけれど。

「なんだ?アイツ?」

拓海はブチョウ先生の隣に座っているヤスが自分の右手を開いてさかんに手のひらを左手の人差し指でしているのを見た。さも「ココを見ろ!」とでも言いたげに。だ。

「ンッ???」

そしてワカッタ。

「そうか、ホームランか!」

そう、ヤスのそのジェスチャーは
「オマエの手のひらに書いてあることを思い出せ!」ってことだったのだ。

「オマエガ打てば勝てる!」

ヤスはそう言ったんだった、バスの中で。

「なら、打ってやる!ホームランを!」

吹奏楽部は通常の応援マーチをやめてエイトビートの連奏となり大応援団全員が
「カッセカッセイナモリ!カッセカッセイナモリ!」の連呼になっている。

応援席もわかっているのだ、もうココシカナイってことを。
メガホンを打ち鳴らし大太鼓が鳴り響き、そして格闘技系運動部員がドナる!!!

「イナモリ~~~~~っ!甲子園じゃ~コウシエン~~~~~っ!連れてイカンカイっ!」

なのに不思議なもんだ、当の拓海は心静かにピッチャーに対峙出来ていた。
そう、木鶏になれていたのだった。

「球種もコースもない、何でもいい。何でも好きに投げろ。オレはただ来た球に対応する。
それだけだ」

初球はカーブでストライク。だけど「取られた」っていう気はしなかった。
そして二球目はインハイにボール球だった。何の迷いもない。イイ感じのままだ。

次も何が来てもいい、ただ対応するだけだから。
スタンドの大声援もなぜだか耳に入ってこなくなった。

景色は見えるのに「無音」なのだ。不思議だ。

三球目のサインが決まったようだ。ピッチャーがセットに入る。
足があがる、トップに入る、左足が地面に着く、ナゲタ~!

インローの真っすぐだ!

「ヨシっ、打つっ!」

拓海はバットを振りはじめた。来る、ボールが来る、ポイントに来た!行け!

「ガッキっ~~~~~~んっ!」

ものすごい金属音がした。そして一瞬その金属音から遅れるようにスタンドにどよめきが広がった。

「ウッオ~~~~~っ!」

それは一塁側からも三塁側からも同じどよめきだったのだが、一塁側のそれは
「タノム~入ってくれ~」という願いを込めて、そして三塁側のそれは「ヤメテくれ~」という哀願にも似たものだった。

一塁側大応援団の願いを乗せた打球は一直線に、今大会初めて開放されて満員に膨れ上がったライトスタンドを目がけて飛んで行った。

あらかじめほぼフェンスに着くような位置に守っていた右翼手は少しだけ追いかけるふりをしたがすぐにあきらめてしまった。

距離は十分に足りているようだ、あとは切れるか切れないか?だけなのだ。

拓海は全力で走っていたためすでに一塁ベースをまわっている、そしてその時一塁側大応援団から歓声が上がった。

「ヤッタ~~~~~っ!」

「入ったっ~~~~!」

「ホームランだッ~~~~~っ!」

打球を追いかけて行った一塁の塁審が大きく右手を回している。

そう、ホームランのジェスチャーだった。

打球は両翼98メートルのフェンスをはるかに越えて、外野芝生席をも見下ろしながら場外へと消えて行ったのだが、横位置からはファールなのかフェアーなのかがわからず、見える角度にモンダイのある一塁側はヤキモキしていたのだった。

「同点だ~~~~!」

「オイツイタ~~~~!」

「イケるぜ~勝てるぜ~~~~!」

そう、実際にはまだ勝ったわけではないのだけれど応援団としてはもう、カッタのだ。

拓海がベースを一周してホームを踏み、ベンチに帰ってきた。高校野球ではベンチを飛び出しての握手やハイタッチは禁止されている。ハデなジェスチャーも控えなければならない。

だから拓海は静かにヘルメットを置いた。

しかしそこは高校生だ。ベンチに入るとがっちりと握手攻めにあった。
最初はブチョウ先生だった。

「よくヤッタ!」

ベンチ入り全員とハイタッチ、握手を済ませると拓海はヤスのところへ駆け寄った。
そして肩をたたき
「オマエの手袋、スゲ~よ!」

ヤスは次打者の勇士のスコアーを追いながら
「打つと思ってたよ。オマエなら!」

そういってまたスコアーブックに集中していった。そのあと勇士はフォアーボールを選び圭介もヒットで続いたけど駿斗がライトフライに倒れて結局この回は同点どまりで終わった。

しかしついに英誠学園は同点に追いついたのだった。

八回裏の守りに出て行こうとするとき、スタンドからの大きな拍手で送られた。
なんとか格闘系生徒たちの溜飲は下がったようだった。

「でもまだ、勝ったわけじゃないしなあ~」

拓海はこのイニング、つまり八回裏の重要性を痛いほど知っていた。絶対に無得点に終わらせなければならない回、なのだ。

「大胆細心」ある有名な高校野球指導者の座右の銘、だ。拓海はそれを肝に銘じてマウンドに上がってイッタ。

勇士が
「シマッテ行こうぜ~!」
と内外野にカツを入れる。英誠学園としても、そして同点に追いつかれた作川学院としても、どちらにも大切なイニングのはじまりだ。

主審の手があがる。プレイ、だ。

バッターは先ほど二塁ランナーがピックオフプレーで牽制死したためその時打席に立っていた五番バッターからだ。当然、カウントはノーボールノーストライクから始まる。

勇士はまず基本のアウトロー真っすぐで入って行こうとサインを送った。変化球から入る選択肢もあったがまず、ストライクが欲しかったのだ。

拓海も異論なし、すぐにふりかぶった。「ストライック!」キレのいい速球が決まった。

速い、力が抜けているぶん、おそらくはスピードガン表示以上に打者には速く感じられるだろう。

二球目はスライダーをやはりアウトローに。三球目はカーブをあえて外側にはずして最後は高めの速球で三振を取った。

続く六番、そして七番バッターも同じような配球で拓海、勇士のバッテリーはこの大事なイニングを三者連続三振で切って取ったのだった。

一塁側応援席は俄然、盛り上がってきた。ベンチに戻るとブチョウ先生は拍手で出迎えてくれた。しかし「目は笑っていない」なるほど、終わるまで「モッケイ」を貫くつもりらしい。

星也は試合終了まで病院には行かないということだったので応急処置だけ終わらせてベンチで痛みに耐えていた。おそらくは試合が終わったあと、病院でレントゲンを撮るだろう。

なんとか打撲だけで済めばいいのだけれど。
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