空って、こんなに青かったんだ。

 健大は健大で拓海が野球をやってたはずっていう確信はあったけど、腕前は知らないし、それになんか理由があって辞めたかやらないんだろうから誘ってもダメだろうしって思ってる。

第一、俺たちが欲しいのは四番で、または抑えのエースで。だから、そうでないヤツはムカンケイでムイミなワケで。

とにかく夢なんて見てないで出来ることをやろうと、珍しく建設的なまとめになった。
そして出来ることとは、個々のレベルアップだった。それしかなかったのだ。

トレードでも転校生頼みでもなくてだ。

九月の半ばに始まる秋の大会まであと二か月もなかった。それまでに甲子園に出られるようなチームになるんだろうか?

みんなの心は不安のほうが圧倒的に大きかったりしたわけだ。時間がなかった。
そしてシカタナクその日は寝たんだっけ。

「とにかくやるしかないだろ、練習を」

そう言って勇士はランニングを続けた。ほかのメンバーも来る秋大会でのレギュラー取り、一桁背番号取り、最悪でもベンチ入りを目指して個々の課題に取り組むことを胸に誓っていた。                
あの日の夜、みんな自分の目標を持とうということになった。例えばキャッチャーである勇士は二塁スローイングの確実性の向上と打撃におけるパワーアップ、健大は三振の数を減らすこと、つまり打率アップ、護は守備力と盗塁数を増やすこと、などなど。

それぞれが向上すればおのずとチーム力も上がるはず、というのが彼らの結論だった。今はそれしかない、と。

だから勇士は居残りでキャッチングからの二塁送球練習を繰り返したし、護は離塁からのスタートダッシュや特守を受けることを自分に課した。

健大も大振りを改めやや振りをコンパクトにしてボールを最後まできちんと見る癖をつけようと心掛けたのだ。

そのように皆が自分の課題を見つけてそれを克服すべく工夫し努力したんだ。

夏休みの期間中はかなりの練習試合が組まれた。その中で全員がふるいにかけられ、秋の大会のメンバーが固まりつつあったし、だいたい同じレベルの学校と試合を組んだので勝敗はほぼ五分五分だった。

だけど自分たちより上のレベルの学校とはやはり力負けしてしまったし、いつも「あと少し」「あと一歩」というところで押し切られてしまう。

その原因は彼ら自身がいちばんわかっているように、頼りになる抑えと打線の
核の不在がすべてだった。

そして試合後のミーティングでもそのことがいつも結論として取り沙汰されていたワケだ。
そうこうしているうちに早いもんで夏休みはサッサと終わってしまって二学期になった。

野球部員は一同がまるで全身に靴墨を塗りまくったかはたまた小学生の昆虫採集でとっつかまってしまったクワガタムシのように黒光りしていて、他の生徒はみな外国人でも見るように彼らを遠くから珍しいモノでも見る様に眺めた。

健大も久しぶりに教室に入るとバッグを机に
「ドッスン」と投げ置いて椅子に大股を広げて腰かけた。

いつもの彼の行動パターンだ。決していつもとチガウ、ということはナイ。
となりの拓海はまだ来ていないようだ。

 この健大、まだ話してなかったけど、じつはかなりの問題児でありいわゆるヤンキーちゃんであった。

少し話してみるけど、だいたい野球を始めたきっかけが面白い、というか普通じゃない。
家庭はごく平均的で真面目な両親と弟。なんだけれども中学入学の頃からだんだんと見るもの聞くものすべてにイラつくようになって心の中にモヤが掛かったようになった。

その原因がわからず、で、ほかの人たちは別に腹も立たないみたいなんだけど、自分だけは「やっぱり腹が立ってしまう病」なんだ、と結論付けるしかなかった。

でも、なんかムカつくんだよね、真面目腐ってる奴、いい子ちゃんぶってる奴、とことんヤル気概もないくせに不良ぶる奴、エトセトラエトセトラ。

それでそういう輩を取り締まるべくある日から金属バット持参で朝の登校時、校門の前で張り込むこととしたらしい。まるで「風紀委員」のように。

そんでそのターゲットは生徒のみならずナゼか先生たちも含まれていたので、教職員さんたちはさらに驚いた。

だいたい「いでたち」からして異様で、夏でも廊下の床が拭けるくらい気のきいた長めの上着、ズボンはといえば小錦の足でも三本くらい入りそうなゾウを彷彿とさせる太めのもの、そんなものを着こんで毎朝、生徒および先生方の服装や精神の乱れを正したわけだ。

健大に言わせれば自分が普通であり周囲が反乱していたのである。当然、多くの父兄から学校に「相談」があふれ、ある先生が健大と話すこととなった。

「なあ、平山、そのバット、思いっきりブン回してみたいと思わないか?」

当たり前のことだが、健大はそのバットで人をウツ?ことを禁じられていたのであった。もともとバットの使命は打つこと、しかしその相手は野球のボールであって人間じゃない。

なぜならバットで打たれた人間は、死んでしまうからだ。

先生方はそれを知っているから健大に人を打つことを禁止した。まあ、当然のことだが。仕方なくそれを了承した健大だったが、本当はバットを使いたくて使いたくて仕方ない。

まあ、校門に立つことだけは引き換え条件で認めさせたのだが。それで先生にこう言った。

「ブン回したいですね」

話の分かる先生で「じゃ、俺に一任しろ」と言って次の日曜日に連れて行かれたのがとあるシニアリーグのグランドだった。

先生は旧知の仲だというそこの監督さんにまるで引き出物を差し出すようにていねいに
健大を差し出して自分はさっさと帰ってしまった。

「はあ?ざけんじゃね~よ」と思ったけどあとの祭り、だってその監督さんって正直
「その道のヒト?なんでしょうか・・・・」

そんな雰囲気を十二分にかもし出していたのだから。
しかしながら、人生はわからない、どこに何がオッこっているのか、何に出会うのか?

「おい、お前、なかなか良いバッティングしてんだって?キイてるぜ!」
とチョイ悪オヤジどころではない、本職の大悪オヤジそのものの監督さんは健大に言ったかと思ったら子猫かウサギをつかむように健大を打撃ゲージのなかに放り込んだ。

「打ってみろ!」

大悪オヤジがそう叫ぶとピッチングマシンを操作していた選手がボールを入れ始めた。四の五の言う暇もなくボールが飛んできた。

「マジかよ?」

命より大事な風紀取り締まり用のマイバット持参で来た健大は根性を据えて一球目をフルスイングした。そして、その一週間後の練習試合で健大は四番に座っていた。

漫才か落語のような話だけど、その一球目は人を打つことなく無用の長物と化していたマイバットの積年のウップンを見事晴らすように、真心で捉えた硬球を外野の防球ネットに直撃させていたのだ。

その後も健大は自ら任命した風紀委員の活動と称して行っていた日々の素振りの成果をいかんなく発揮し、さらにヤンキー仲間の監督さんにはすっかり気に入られ、不動の四番バッターに抜擢されてしまった。

だって、帰り際、大悪オヤジから練習着と試合用ユニフォーム、それにスパイクからグラブから、そう、野球用具一式を渡されてしまったのだから。

あとから聞いた話では、それは無責任にも引き出物を差し出すように健大を大悪オヤジにウリワタシタ先生と、「あんたにも悪い話じゃないはずだよ」と旧知の先生に言いくるめられた監督が折半でお金を出し合ったものらしかった。

かくしてチームにキョウセイテキに入れられてしまった健大はメキメキと頭角を現し、
リーグを最後まできちんと全うし英誠野球部へと進んだわけだ。

しかしながらそんなヤンチャだから入学早々先輩方からは当然のように目を付けられ騒動が絶えなかった。そんなこんなを何とかまとめていたのが勇士と啓太であった。

つまりふたりとの友情のお陰で健大は野球部に居続けることが出来た、と言っても過言ではなかったのだ。まあざっとこれが健大の今までのあらまし、ってとこ。

で、そんなことを話しているうちに、秋の大会っていうのは九月の二週目にはもう始まってしまうのでそれこそアッという間に本番が来てしまったんだ。


 早速、メンバーを発表しよう。一番、ショート小林祐弥、二番、サード松本亮太、三番、セカンド刀根護、四番、ファースト平山健大、五番、キャッチャー龍ヶ崎勇士、六番、ライト久保田圭介、七番、センター金子啓太、八番、レフト杉山駿斗、九番、ピッチャー川津星也。

いずれも二年生が先発メンバーを占めた。背番号も守備位置の通りでほかに一年生がふたりベンチ入りしたんだ。

それで一、二回戦と順調に勝ち上がって三回戦も苦戦の末、逆転勝ちした。だけど続く準々決勝は甲子園出場経験のある強豪校、しかもここで勇士たちの心配した抑え投手のいないチーム事情が災いしてしまった。

相手はうまく継投して英誠打線は先発とタイプの違う二番手ピッチャーになかなかタイミングが合わず、ずるずると無得点イニングを重ねてしまった。

そうこうしているうちに星也に疲れが見えだして、なのに、誰でももう限界か?ってわかってるのに代えるピッチャーがいないので気が付いたら逆転負け・・・・。

ナンてコッタ。

だけどあそこで控えの一年生ピッチャーを出していたらもっと点を取られていたであろうことは誰もが知っていたのだからシカタナイ。

もちろん、監督もだ。だから誰も采配ミスだなんて思ってもおらず、ようするに負けるべくして負けた?ってやつ。かなしいけど、これ、実力。

もっとカナシイのが二年生に一年生に勝る控え投手がいないってこと。これはホント、メンツ丸つぶれの威光も何もなくただただミジメなだけだった。

それでもってその日は結局お定まりの啓太の家での「反省会」決行。しかし今日は鰻は出ず、しかも夢の甲子園出場のチャンスは完全に失せ、実にカナシイ反省会と相なってしまった。

「あ~あ、残るチャンスもあと一回か~」

つまり、甲子園出場の夢は来年夏のあと「いっかいこっきり」となってしまった、と誰かがつぶやいたわけだ。

「もう、ダメだ~」

「やっぱ、無理~」

「神は見放した~」

口々にグチり合って、その夜はカナシクモふけていったのであった。 
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