常務の秘密が知りたくて…
 ややあってフロアがざわつき社員たちが入口から来客用の部屋までの通りに並びだす。私はそれを横目に作業に没頭した。常務が来客用の部屋に入るとこちらは一時騒然となった。上司である課長がいないから尚更だ。

「やっぱり間近で見るとなかなか男前ね」

「でもなんか怖いし、近寄りづらそう」

「それにしても今日は秘書を連れてなかったね」

「常務の秘書って、しょっちゅう代わるみたいだけどいつも美人な人ばかりだし」

「全部、常務のお手付き済みって話だけどね」

 仕事をしながら好き勝手盛り上がる同僚たちの話を遠くに聞いて心が勝手に乱れた。それを落ち着かせるために席を立ちコピー機に向かう。書類の束を抱えて戻ってくるとまたフロアがどよめいていた。

 常務が用事を済ませたのかと思いながら私は書類を整理しようとしたとき何かが引っ掛かった。見ないようにしようと思っていたのに、引き寄せられるように私は視線をそちらに向けた。

 なんで――

 少しだけ盗み見しようと思っただけなのに、一際背の高い常務が何故かこちらを見ていて思いっきり視線が交わった。何も耳に入らない、時が止まったような感覚。それを現実に戻してくれたのは目の前の電話だった。

「はい、秘書課です」

 急いで電話をとりメモの準備をする。

「課長は席を外しておりまして。……はい、はい。伝えておきます。……はい、承りました」

 用件を復唱して電話を切る。そこでフロア内の妙な空気に気付いた。突き刺さるような視線を感じ顔を上げると、常務が机を挟んで目の前に立ってこちらを見下ろしていた。

「名前は?」

 入社式ぶりに聞いた常務の声は思った以上に低かった。自分に言われているのだと理解するのに数秒かかり考えるよりも先に反射で立ち上がって頭を下げる。

「白須絵里と申します。業務がありご挨拶が出来ずに申し訳ありません」

「いいから顔を上げろ」

 怒っているような不機嫌さが滲み出ている声に、びくびくしながら言われた通りに顔を上げる。鋭くこちらを見据えてくる常務の顔を見て入社式のときに抱いた気持ちが一気に溢れそうになる。

 胸が苦しくて涙が零れそうになるのを必死に堪えた。常務はしばらくまじまじと私を見つめると、それ以上は何も言わずに踵を返した。
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