天に見えるは、月
「橘さんは、上司の指示を素直に聞く人だと黒木課長から聞いたけど」
「……ええ。まあ、そうだと思いますが」
「それであれば十分に務まるだろうから、まあ、そんなに心配しなくてもいいよ」
奥歯に物が挟まったような釈然としない話し方に引っかかりをおぼえる。香凛が再び口を開きかけると、岩佐部長はデスクにあった電話の受話器を取って、誰かに電話しはじめた。
「あ? なに、いない?!」
突然、大声になったものだから肩がびくりと上がった。それまで岩佐部長は香凛に背を向けて、ボソボソと聞こえないように話をしていた。
一体誰がいなかったのか。彼は焦った表情で受話器を置くと「ちょっとこのままここで待ってて」と部長室を出て行ってしまった。香凛は部屋にひとり残されて困惑する。
それから五分程が経過しただろうか。部長室の扉がガチャリと音を立てて開き、振り返ると岩佐部長に続いて入ってきたのは何と――“モンド”。
彼は部屋に入ってくるなり、氷のように冷たい目を香凛に向けた。香凛は蛇に睨まれたカエルのごとく固まった。
「待たせて悪かったね」
岩佐部長に声を掛けられて、香凛は硬直していた体が少しだけ緩む。岩佐部長のほうを向き、思い出したように息を吐き出した。
「……い、いえ」
「知っていると思うが、彼は営業一課の中村課長だ」
モンドと目を合わせるのが怖い。香凛は俯き気味で、視線だけちらりとモンドの顏へと動かした。彼はと言えば眉間に皺まで寄せている。